かつては数千人・数万人が生活していたのに、今はほぼ誰も住んでいない。世界の廃墟・ゴーストタウンには、戦争・災害・資源の枯渇・経済の破綻・放射能汚染など、一つ一つに重い歴史が刻まれています。
本記事では、世界の廃墟・ゴーストタウン29選をアメリカ大陸・ヨーロッパ・アフリカ・中東・アジア・オセアニアの6地域に分け、それぞれの「なぜ廃墟になったのか」という背景と見どころを画像付きで徹底解説します。プリピャチ・軍艦島・コールマンスコップのような有名どころから、訪れる人も少ないマイナーな廃墟まで、歴史好き・廃墟好きにはたまらない29のストーリーが詰まっています。

目次
そもそも廃墟・ゴーストタウンとは?生まれる7つの理由
ゴーストタウン(ghost town)とは、一般的に「何らかの理由で住民がほぼ全員去り、機能していた都市・集落が放棄された状態の場所」を指します。厳密な定義はありませんが、日本語の「廃墟」「廃村」「廃坑」「廃都市」などもほぼ同じ意味で使われます。
歴史上、世界の廃墟・ゴーストタウンは実に多様な理由で生まれてきました。代表的な原因は以下の7つです。
- 鉱山資源の枯渇:金・銀・銅・ダイヤモンド・石炭・硝石など、その町の産業基盤となっていた鉱山が閉山すると、住民は一気に流出し廃墟化します。ボーディー・コールマンスコップ・軍艦島などが典型例です。
- 戦争・虐殺:村や町ごと破壊され、復興が行われずそのまま戦争遺構として保存されるパターン。オラドゥール=シュル=グラヌやベルチーテなどが世界的に有名です。
- 自然災害:地震・火山噴火・津波・洪水・地すべりなどで一瞬にして街が壊滅。プリマス(火山)、北川旧県城(地震)、ビジャ・エペクエン(洪水)などが該当します。
- 原発事故・化学汚染:放射能やアスベストなどの目に見えない脅威で立ち入りが禁止され、ゴーストタウンとなるケース。プリピャチや双葉町、ウィッテヌームが代表例です。
- 政治的紛争・強制退去:住民交換・軍事占領・停戦ラインによって、一夜にして全住民が追い出されるパターン。カヤキョイ、ヴァローシャ、タイナムなどが知られています。
- 都市計画の失敗:巨大な新興都市を建設したものの、想定した住民が流入せず、建物だけがそびえる「未完成のゴーストシティ」が出現。中国のオルドス康巴什などが典型です。
- インフラ整備・環境問題:港湾拡張・ダム建設・環境汚染などで立ち退きを迫られ、そのまま放棄されたケース。ベルギーのドゥールが象徴的です。
廃墟・ゴーストタウンを巡るときの注意点と楽しみ方
世界の廃墟・ゴーストタウンは観光地として整備されている場所もあれば、立ち入りが原則禁止されている場所もあります。訪問する前に、最低限これだけは押さえておきたい注意点をまとめました。
- 許可された区域以外には立ち入らない:プリピャチや軍艦島、ヴァローシャなどは公式ツアーでのみ入場可能。無断で侵入すると法律違反・罰金の対象になる国がほとんどです。
- 倒壊リスクを侮らない:何十年も放置された建物は壁・天井が突然崩れることがあります。廃墟専門のガイド付きツアーに参加するのが安全です。
- 放射能・アスベストなど見えない脅威に注意:プリピャチやウィッテヌームは測定器・マスクなどの装備が必須。ツアーの指示には必ず従いましょう。
- 遺物・建材を持ち帰らない:ゴーストタウンは歴史遺産です。記念に石や瓦を持ち帰る行為は、文化財保護法違反になる場合もあります。
- 住民の感情に配慮する:オラドゥール=シュル=グラヌや福島県双葉町など、当時の悲劇を今も抱える町では、静粛に見学し、軽はずみな撮影・SNS投稿は控えるのがマナーです。
この点さえ押さえれば、世界の廃墟・ゴーストタウン巡りは「歴史を体験するダイナミックな学び」にもなります。では、いよいよ29の廃墟を地域別に見ていきましょう。
南北アメリカ大陸の有名な廃墟・ゴーストタウン7選
アメリカ大陸は、ゴールドラッシュ・銀鉱山ブーム・硝石産業の興亡から生まれた鉱山系ゴーストタウンの宝庫です。一方で、自然災害や火山で丸ごと街が消えた悲劇の廃墟もここに集中しています。
1. ボーディー(カリフォルニア, USA)

1859年に金が発見され最盛期には人口8,000人を超えた西部開拓時代の象徴的な鉱山町。1940年代にほぼ住民が去り、現在は「arrested decay(朽ち果てた状態のまま保存)」という珍しい保存方針で州立歴史公園として管理されています。当時の住民が残したまま去った食器や家具が屋内にそのまま並び、世界の廃墟・ゴーストタウン好きにとっては聖地のような場所です。
ホテル・学校・教会・銀行など200棟以上の木造建物が現存し、砂漠の乾燥した気候がタイムカプセルのように街並みを保っています。米国立公園局も紹介する、アメリカ西部の歴史遺構としては最大級のゴーストタウンです。
2. ライオライト(ネバダ, USA)

1905年の金発見を機に一瞬で人口10,000人規模まで膨らんだ新興都市ですが、1907年の金融危機と鉱山の採算悪化により、わずか5年ほどで街は崩壊。1916年には電気も止まり完全な廃墟となりました。「短命な西部開拓都市」の典型例として廃墟ファンに愛されるスポットです。
現存する石造銀行跡・コンクリート造駅舎・酒瓶で作られた「ボトルハウス」が象徴的。隣接するゴールドウェル野外美術館の白装束の彫像群と組み合わせ、シュールな廃墟アート空間となっています。
3. セントラリア(ペンシルバニア, USA)

1962年のゴミ焼却が地下の無煙炭層に引火し、60年以上燃え続けている地下炭鉱火災が原因で街全体がゆっくり崩壊した異色のゴーストタウン。地面から有毒ガスが噴き出し、道路が割れ陥没したため1992年に連邦政府が全住民の強制移住を命じました。
写真の「Graffiti Highway(落書きハイウェイ)」は、亀裂に落書きが埋め尽くされた国道61号の廃区間。サイレントヒルのモデルとも噂されるこの廃墟は、世界の廃墟・ゴーストタウンランキングでも常に上位に入る名所です。現在は覆土されましたが、一帯は今も高温が続いています。
4. ウンベルストーネ(チリ)

アタカマ砂漠の真ん中に存在する硝石採掘のゴーストタウン。19世紀末から20世紀初頭にかけて火薬・肥料の原料である「チリ硝石」で大量の外貨を稼ぎましたが、20世紀初頭に合成硝石が発明されると一気に需要が消失。1960年に完全廃坑となりました。
精製工場・労働者住宅・学校・プール・劇場までそろった完成度の高い企業城下町で、2005年には隣接するサンタ・ラウラ工場跡とともにユネスコ世界遺産に登録されました。画像の劇場は今も赤い緞帳と客席がそっくり残り、世界でもっとも保存状態の良い廃都市の一つです。
5. セウェル(チリ)

アンデス山脈標高2,000m超の急斜面に、階段状にびっしりと建物が並ぶ銅鉱山の企業都市。1905年に米国の鉱山会社が建設し、最盛期の1960年代には人口15,000人を抱えました。1970年代の鉱業国有化と、1998年に住民が完全退去したことで廃村となりました。
道路がない地形ゆえ、住民は階段だけで街中を行き来していた奇抜な構造が特徴。鮮やかなパステルカラーに塗装された木造家屋が山肌に連なる光景は、世界の廃墟・ゴーストタウンの中でも最もカラフルな一角です。2006年にはユネスコ世界遺産に登録されています。
6. ビジャ・エペクエン(アルゼンチン)

1985年の大雨で隣接する塩湖が決壊し、25年間にわたり完全水没していたリゾートタウン。かつては5,000人規模の温泉保養地として賑わい、ブエノスアイレスからも観光客が訪れる人気地でしたが、洪水後は住民1人(ホームレスを自称する老人)だけが住み続けるゴーストタウンに変わりました。
2009年ごろから湖水が引き始め、ソルトで白く塩漬けになった枯木と廃墟の並木道が姿を現しました。画像の枯木並木道は世界の廃墟・ゴーストタウンの象徴的風景として、ナショナル・ジオグラフィックなど世界中のメディアが紹介した名所です。
7. プリマス(モントセラト)

1995年から断続的に続くスーフリエール・ヒルズ火山の噴火により、カリブ海のイギリス領モントセラトの旧首都が火山灰と溶岩で完全に埋没したゴーストタウン。島の総人口の約2/3が避難を余儀なくされ、旧首都プリマスは立ち入り禁止区域となりました。
画像に写る屋根だけ見える建物は、火砕流堆積物に埋もれかけた市街地の一部。半世紀以上にわたって国家首都が丸ごと火山に飲み込まれた例は、世界の廃墟・ゴーストタウンの中でも非常に珍しく、現在も首都機能は島北部のブレイズに仮移転されたままです。

自然災害で生まれた廃墟は、地球が見せる異常現象の痕跡とも言えます。地球の不思議な現象をまとめた記事もあわせてどうぞ。
ヨーロッパの美しいゴーストタウン・廃墟10選
ヨーロッパのゴーストタウンは、二度の大戦と民族紛争、原発事故、経済衰退など20世紀の歴史の傷跡を色濃く反映しています。中世の廃都市遺構と近現代の廃墟が同じ地域に混在するのもヨーロッパならではの魅力です。
8. プリピャチ(ウクライナ)

1970年にチェルノブイリ原子力発電所の従業員とその家族のために建設された計画都市。1986年4月26日の原子炉爆発事故で約5万人の住民が36時間以内に強制避難し、そのまま世界でもっとも有名な放射能ゴーストタウンになりました。
建設中で一度も動かぬまま40年近く残る観覧車、教科書が散乱する小学校、プール、病院、スーパーマーケットなどがほぼ当時のままで保存され、事故の瞬間に時計が止まった街として世界中の廃墟ファンと研究者を惹きつけます。現在は立入制限付きのガイドツアーが可能です(情勢により停止中の時期あり)。
9. カヤキョイ(トルコ)

1923年のローザンヌ条約に基づく希土住民交換で、約2,000人のギリシャ正教徒住民が一夜にして全員本国へ送還され、以降住民が戻らなかったため廃村となったトルコ西部の山麓集落。「レヴィシ」というギリシャ語名でも呼ばれます。
500棟以上の石造家屋と2つの正教会、チャペル群、水路、市場跡が斜面にびっしり並び、世界の廃墟・ゴーストタウンの中でも「住民交換」という政治的理由で一夜にして消えた珍しい事例として注目されています。画像の廃教会の内部アーチには、かつてのフレスコ画の痕跡が今も薄く残っています。
10. クラコ(イタリア)

南イタリア・バジリカータ州の丘の上に中世からそびえる石造集落。度重なる地滑りと洪水で1963年から徐々に住民が麓に移住し、1980年のイルピニア地震でとどめを刺され完全廃墟化しました。
11世紀の展望塔、中世の領主館、ロマネスク教会などが剥き出しの岩山の上に集中する美しさは、映画『パッション』『007/慰めの報酬』『ベン・ハー』のロケ地としても有名。世界の廃墟・ゴーストタウンの中でも「映画の中の悪役要塞感」が突出した一つです。
11. ピラミデン(スヴァールバル, ノルウェー)

北緯78度・北極圏の孤島スヴァールバル諸島に残るソ連時代の炭鉱都市。1927年にソ連が買収し、最盛期の1980年代には人口1,000人超、体育館・プール・文化会館・温室までそろった「ソ連理想の入植地」として機能しました。採算悪化で1998年に閉山・全住民退去。
北極圏の極寒気候のおかげで建物の老朽化が極めて遅く、当時のレーニン胸像がいまもほぼ無傷で立っているのが象徴的。夏季のみ観光ツアーで入場可能で、世界の廃墟・ゴーストタウン好きの間では「生きたソ連博物館」と呼ばれています。
12. ヴァローシャ(キプロス)

1974年のトルコによるキプロス侵攻で住民約39,000人が一斉に避難して以来、長らく立ち入り禁止の封鎖地として放置されてきたリゾートタウン。ファマグスタ市の海沿いに並ぶ近代的な高層ホテル群は、1970年代当時の姿そのままで朽ち続けています。
エリザベス・テイラーやブリジット・バルドーが訪れた当時の最先端リゾートが、半世紀以上ほぼ無人のまま風化している光景は世界の廃墟・ゴーストタウンの中でも特異。2020年以降、部分的に見学ゾーンが開放されましたが全域の再開発は未定です。
13. アニ遺跡(トルコ)

中世アルメニア王国の首都として10〜11世紀には人口10万人を誇った「1001の教会の都」。モンゴル侵攻・地震・交易路の変化で徐々に衰退し、17世紀には完全に無人となった中世最大級のゴーストタウンです。
現存するアニ大聖堂・聖救世主教会・聖グレゴリウス教会などの華麗な石造建築が、トルコとアルメニアの国境沿いの荒涼とした大地にそびえる光景は圧巻。2016年にユネスコ世界遺産に登録され、世界の廃墟・ゴーストタウンの中でも中世都市遺構として最高峰の一つです。
14. オラドゥール=シュル=グラヌ(フランス)

1944年6月10日、ドイツ武装親衛隊SSの報復攻撃で642人の村人全員が虐殺された悲劇の村。戦後シャルル・ド・ゴールは「村を再建せず、そのまま残す」と決定し、虐殺現場と焼けた住宅・車・ミシンなどがそのまま保存された「martyr village(殉教の村)」として国家記念碑になっています。
画像に写る錆びた車はまさに1944年のまま。戦争の記憶を忘れないための廃墟として、世界中から修学旅行や平和学習の訪問者が絶えません。世界の廃墟・ゴーストタウンの中で最も強いメッセージ性を持つ場所の一つです。
15. ベルチーテ(スペイン)

1937年のスペイン内戦「ベルチーテの戦い」で2週間の猛爆撃で街が完全に破壊された歴史ある町。フランコ政権下で新しいベルチーテが隣接地に新築され、旧市街は「二度と内戦を繰り返さない象徴」として廃墟のまま保存されました。
画像の崩れかけた教会塔は、内戦時の砲弾跡が穴としてそのまま残る象徴的建造物。映画『パンズ・ラビリンス』など多くの戦争映画のロケ地にも使われる、世界の廃墟・ゴーストタウン屈指の戦争遺構です。ガイドツアーで内部見学できます。
16. ドゥール(ベルギー)

アントワープ港の拡張計画に伴い住民への立ち退きが進められた結果、ほぼ全住民が去り人口約30人のゴーストタウンとなった村。2009年以降、空家を狙うグラフィティアーティストが世界中から集まり、壁という壁が色彩豊かなストリートアートで埋め尽くされた「空きアート村」として有名になりました。
拡張計画は何度も延期され、一部の住民は強制退去に反対する運動を続けています。世界の廃墟・ゴーストタウンの中でも「まだ現在進行形で廃村化が進む」珍しい事例で、ヨーロッパ現代社会の縮図のような村です。
17. タイナム(イングランド)

第二次大戦中の1943年、英国陸軍の戦車射撃演習場確保のため252人の全住民が強制退去させられた南イングランド・ドーセットの村。戦後、村の返還を約束されていたにもかかわらず陸軍は返還せず、以来80年以上にわたってゴーストタウンのままです。
今も石造の村ホール、小学校、教会、電話ボックスが往時の姿で残り、軍の演習がない週末のみ一般公開されます。「Please treat the church and houses with care; we have given up our homes where many of us lived for generations」と当時の住民が残した置き手紙が今も教会に掲示されており、世界の廃墟・ゴーストタウンの中で最も切ない場所の一つです。

アフリカ大陸の植民地時代の廃墟・ゴーストタウン2選
アフリカ大陸のゴーストタウンは、植民地時代の経済構造と密接に結びついています。ヨーロッパの資源企業が築いた企業城下町と、ヨーロッパ式の都市が現地に残した痕跡は、今もアフリカの近代史を物語る貴重な遺構です。
18. コールマンスコップ(ナミビア)

1908年、ドイツ領南西アフリカ(現ナミビア)でダイヤモンドの原石が線路脇で発見されたことをきっかけに誕生した砂漠の中のダイヤモンド企業城下町。ドイツ風の邸宅・病院・学校・劇場・ボーリング場・市場までそろい、最盛期には1,300人の住民と豪華な生活がありました。
1928年により良質な鉱脈がさらに南で見つかると人口は一気に流出し、1956年に完全放棄。以来ナミブ砂漠の風が邸宅の内部にまで砂を吹き込み、扉を開けると砂丘が室内をのみこむ光景が出来上がりました。世界の廃墟・ゴーストタウンの中でももっとも絵になる一枚と言われています。
19. グラン・バッサム(コートジボワール)

1893〜1896年にかけてフランス領西アフリカの最初の首都として栄えた海辺の街。黄熱病の大流行で1896年にバンジェルヴィル(現アビジャン)に遷都されると一気に寂れ、植民地時代の総督府・邸宅・商館群だけが今も残されました。
画像の青い看板に「PALAIS DES GOUVERNEURS(総督府宮殿) 1893」とあるように、街の建物一つ一つが19世紀末の植民地行政の痕跡です。2012年にユネスコ世界遺産「グラン・バッサム歴史地区」に登録され、世界の廃墟・ゴーストタウンの中でも稀有なアフリカ植民地建築ゴーストタウンとして保存されています。
中東の砂漠に埋もれたゴーストタウン1選
中東地域のゴーストタウンは、油田開発・都市移転・環境変化により生まれた比較的新しいタイプの廃墟が多いのが特徴です。ここでは砂に埋もれた幻想的な村を一つ取り上げます。
20. アル・マダム(UAE シャールジャ)

アラブ首長国連邦シャールジャ首長国の内陸部、ドバイから車で約1時間の場所に突如現れる砂に半分埋もれた廃村。1970年代に遊牧民ベドウィンの定住促進を目的に政府が建設した集落ですが、数十年の間に住民がほぼ全員去り、今ではアラビア砂漠の砂が家屋内部にまで流れ込んでいます。
画像のように、礼拝用モスクを含む集落全体が砂丘の一部と化しており、インスタ映えする廃墟として近年SNSで急上昇中。なぜ住民が去ったのかは公式な発表が少なく、ジンが住む呪われた村という都市伝説も現地で語り継がれる、世界の廃墟・ゴーストタウンの中でも神秘性トップクラスの存在です。
アジアの炭鉱・災害・過疎が生んだ廃墟・ゴーストタウン7選
アジアのゴーストタウンは、炭鉱の閉山・大地震・原発事故・人口流出など、20世紀後半〜21世紀初頭の激しい社会変動を映し出す鏡のような存在です。日本にも世界遺産級の廃墟があります。
21. 軍艦島(端島/長崎, 日本)

長崎港から南西18kmの海上に浮かぶ、周囲わずか1.2kmの小さな島。1890年から約80年にわたり海底炭鉱の拠点として栄え、1960年には人口5,267人、人口密度は当時世界一を記録しました。1974年の閉山とともに全島民が退去し、以降放置されたため高層鉄筋コンクリート集合住宅群が風化しながら残っています。
軍艦を思わせるシルエットから「軍艦島」の通称で愛され、2015年にユネスコ世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録。現在は安全区域に限定してツアーで上陸可能です。日本を代表する、世界の廃墟・ゴーストタウンの頂点です。
22. 松尾鉱山跡(岩手, 日本)

岩手県北東部の八幡平の山中に、標高約900mの冷涼な高地でかつて東洋一の硫黄鉱山として1882年から稼働した採掘拠点。最盛期の1960年には約15,000人が生活し、鉄筋コンクリート造の従業員住宅、小学校、商店、映画館まで備え「雲上の楽園」と呼ばれていました。
1972年の閉山とともに全住民が下山して廃村となり、標高の高さゆえ冬の豪雪で建物の屋根がつぎつぎと崩落。画像のようにブナ林に呑まれた鉄筋コンクリートの亡霊が今も点在し、世界の廃墟・ゴーストタウンマニアの間では日本屈指のマイナー聖地として知られています。
23. 双葉町(福島, 日本)

2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故で町全域が避難指示区域となり、2022年まで11年間にわたって住民が戻れなかった福島県双葉町。画像に写る「原子力明るい未来のエネルギー」と書かれた原発推進標語のゲートは、事故後に「皮肉の象徴」として一時は話題になりました。
2020年から一部区域で帰還が開始され、現在も町の人口は事故前の1%程度にとどまっています。完全な廃墟というより「再生過程にある被災地」ですが、長年人が住まない状態が続いたため、世界の廃墟・ゴーストタウンの近現代史に必ず記される場所です。
24. オルドス康巴什(中国)

内モンゴル自治区オルドス市が2000年代の石炭バブルで投じた約10兆円で建設した人口100万人想定の新都市。しかし実際の入居はほぼ進まず、2010年代半ばまで広大な高層マンション街・博物館・図書館・オペラハウスが「明るい廃墟」としてBBCなどに取り上げられました。
画像の未来的な曲線が美しいオルドス博物館は、人の気配が少ない広場にそびえる象徴的存在。2020年代に入って徐々に住民流入が進みましたが、なお当初想定の半分以下の人口で、世界の廃墟・ゴーストタウンの中でも「未完成の新興都市」代表として名を残し続けています。
25. 北川旧県城(中国)

2008年5月12日の四川大地震(マグニチュード8.0)で、わずか数分間で人口約1万人の旧市街が山崩れと家屋倒壊に飲み込まれた四川省綿陽市の町。死者・行方不明者は約15,000人に達し、中華人民共和国は復興を諦め2010年に隣接地に「新北川」を建設しました。
画像の湖畔に並ぶビル群は、地震の翌年に地滑り湖として出現した「唐家山堰塞湖」と崩れたままのビルの組み合わせ。旧市街は「5・12汶川地震遺跡博物館」として保存公開され、世界の廃墟・ゴーストタウンの中でも地震遺構としては最大級です。
26. 后頭湾(中国)

中国浙江省舟山群島の嵊山島の北東端にある廃漁村。1980年代には約2,000人が暮らす活気ある港町でしたが、本土との交通の不便さや生活インフラの貧弱さから、住民は1994年ごろから徐々に離島し、今は数世帯を残してほぼ無人に。
数十年の間に家屋を覆い尽くしたブドウ科のツタ類(おそらくヤブガラシ系)が、コンクリートの村全体を緑一色に染め上げる異様な光景が出来上がりました。世界の廃墟・ゴーストタウンの中でもっとも「自然が街を飲み込んだ」姿を象徴する場所として、近年中国国内の観光客が急増しています。
27. ロス島(アンダマン, インド)

1857年からインド・アンダマン諸島の英領流刑地の司令拠点として機能した小島。総督官邸・教会・病院・発電所・テニスコート・水泳プールまで備え「東洋のパリ」と呼ばれるほど優雅な英国植民地社会が存在しました。1941年の地震と1942年の日本軍侵攻で大破し、以降廃墟化。
画像の椰子の木と波の合間に朽ちる桟橋・灯台が、英領ゴーストタウンらしい物悲しい美しさを放ちます。2018年にインド政府が「ネタジ・スバス・チャンドラ・ボース島」へ改名し、現在は日帰り観光地として世界の廃墟・ゴーストタウン好きにも知られる存在です。

歴史が残した人工の遺構は、時代を越えた古代遺跡と並んで世界史のミステリーそのもの。古代の廃墟についてはこちらの記事もどうぞ。
オセアニアの鉱山ゴーストタウン・廃墟2選
オセアニアの廃墟・ゴーストタウンは、金・石綿(アスベスト)採掘の歴史と強く結びついた鉱山町が中心。オーストラリアの広大な内陸部には、ゴールドラッシュが去ったあとの小さな廃町が今も点在します。
28. ウィッテヌーム(オーストラリア)

西オーストラリア州ピルバラ地域にあった青石綿(クロシドライト)採掘の町。1943〜1966年の採掘で町全体がアスベスト粉塵まみれになり、元住民・労働者約2,000人が肺がん・中皮腫で死亡。2006年に西オーストラリア州政府は町を正式に「抹消」し地図から削除、2019年には残留住民への強制退去を命じました。
画像の警告標識には「石綿繊維と粉塵が空中に存在し、健康リスクがある」旨が書かれています。世界の廃墟・ゴーストタウンの中で「目に見えない毒で消された町」として最も象徴的な場所で、今でも現地への立ち入りは推奨されません。
29. グワリア(オーストラリア)

西オーストラリア州レオノラ近郊の金鉱山町。1897年に金が発見され、第31代米国大統領ハーバート・フーヴァー(当時は若き採鉱技師)が初代支配人として滞在したことでも知られます。1963年の鉱山閉鎖で一晩に住民のほぼ全員が去り、1,500人が250人程度に減少。
画像のステート・ホテルは1903年建設の2階建てバルコニー付き木造ホテルで、廃町化後も博物館として残されました。周辺にはフーヴァーが設計した邸宅も保存されており、世界の廃墟・ゴーストタウンの中では「アメリカ大統領ゆかりの廃町」という珍しい付加価値があります。
廃墟・ゴーストタウンが教えてくれる歴史の教訓
本記事で取り上げた世界の廃墟・ゴーストタウン29選を俯瞰すると、人類史の重要な教訓が浮かび上がります。
- 単一産業依存のリスク:ボーディー・コールマンスコップ・軍艦島・松尾鉱山・ウィッテヌームなど、鉱山1本で成り立つ町は資源が尽きた瞬間に崩壊します。現代の地方自治体が「企業誘致」で一極集中することの危うさを、これらの廃墟は教えてくれます。
- 見えない脅威は街を殺す:プリピャチ・双葉町の放射能、ウィッテヌームのアスベスト、セントラリアの地下炭鉱火災のように、肉眼では確認できない脅威は、一度顕在化すると街全体を永遠に使えなくします。原発・化学プラントの安全管理がいかに重要かを物語っています。
- 戦争は街を二度殺す:オラドゥール・ベルチーテ・ヴァローシャ・タイナムなど、戦争や民族紛争で廃墟となった場所は物理的破壊だけでなく、戦後の政治的要因で再建が阻まれるケースが多くあります。平和を守る努力の価値は計り知れません。
- 自然の力は人間の計画を軽々超える:プリマスの火山、北川の地震、ビジャ・エペクエンの洪水、クラコの地滑りのように、自然災害は想定を超える速度・規模で街を飲み込むことがあります。都市計画においてハザードマップの重要性は増す一方です。
- 都市は「人が住む」ことで初めて都市になる:オルドス康巴什のように、どれほど豪華な建物・インフラを作っても住民が来なければ都市ではないという当たり前の真実。インフラ先行型開発のリスクを象徴しています。
世界の廃墟・ゴーストタウンについてよくある質問(Q&A)
Q1. 世界の廃墟・ゴーストタウンの中で、観光客が訪れやすい場所はどこですか?
A. ボーディー州立歴史公園(カリフォルニア)、ウンベルストーネ(チリ)、クラコ(イタリア)、コールマンスコップ(ナミビア)、軍艦島(長崎)は観光向けに整備されていて訪問しやすいおすすめスポットです。ガイドツアー付きで内部まで安全に見学できます。
Q2. プリピャチには個人で入れますか?
A. 個人の立ち入りは禁止されています。ウクライナ政府公認のガイドツアーに参加すれば入場可能でしたが、2022年以降はロシア・ウクライナ情勢により入域が制限されています。最新の政府発表を必ず確認してください。
Q3. 日本で廃墟・ゴーストタウンを気軽に見られる場所はありますか?
A. 合法的に見学できるスポットは、軍艦島(長崎、ツアー)、足尾銅山跡(栃木、博物館併設)、別子銅山跡(愛媛、整備済)、池島(長崎、宿泊可)などがあります。松尾鉱山跡のような深山にある廃墟は私有地が多く、無断立ち入りは違法・危険なのでNGです。
Q4. ゴーストタウンって「怖い」イメージがありますが、実際どうですか?
A. 心霊的な意味での「怖さ」は人によります。しかし倒壊・感染症・汚染・野生動物など現実のリスクのほうがずっと深刻です。単独行動は避け、必ずガイド付きツアーまたは公式に整備された区域のみを回りましょう。
Q5. 世界の廃墟・ゴーストタウンを扱った良書やドキュメンタリーはありますか?
A. 写真家・佐藤健寿氏の写真集『世界の廃墟』シリーズ、BBC Earthの「Abandoned Cities」ドキュメンタリーシリーズ、ナショナル ジオグラフィックの『Where Time Stood Still』特集などが世界的にも評価が高いです。書籍では渡邉研司・リチャード・ハッパー共著『世界の廃墟・遺跡60』も入門書として定評があります。
まとめ・世界の廃墟・ゴーストタウンから学ぶこと
本記事では世界の廃墟・ゴーストタウン29選を地域別に紹介してきました。最後にポイントを振り返っておきましょう。
廃墟・ゴーストタウンが生まれる主な原因は資源枯渇・戦争・自然災害・化学汚染・政治的紛争・都市計画の失敗の6カテゴリ。単独要因ではなく、複数が重なっているケースが多いのが実態です。
地域別で見ると、アメリカ大陸は鉱山ゴーストタウンが主役、ヨーロッパは戦争と政治、アジアは炭鉱閉山と災害、アフリカは植民地建築、中東は砂漠に飲まれる廃村、オセアニアは金・石綿の鉱山町が特徴でした。
プリピャチ・軍艦島・コールマンスコップの「三大ゴーストタウン」は、世界の廃墟・ゴーストタウンを語るうえで外せない存在。ただし、小さなベルチーテやクラコ、タイナムにも独自の歴史と静謐な美しさがあります。


