将棋の駒を改めてよく見ると、不思議な形をしています。前方が尖った五角形——チェスのような立体でも、囲碁のような円形でもなく、世界の伝統的なボードゲームの中でも独特な形状です。
なぜ将棋の駒は五角形なのでしょうか。実はこの形には、平安時代の役所事情、日本独自の「持ち駒」ルール、そして「もったいない精神」まで関わる、深い理由があります。
本記事では、将棋駒が五角形になった有力5説、8種類の駒それぞれの名前由来、世界の将棋類との形状比較、最古の駒として有名な興福寺出土品、書体9種類、高級駒の素材まで、ニッチな雑学好きにも満足してもらえる内容で徹底解説します。

将棋の駒が五角形である5つの理由
「将棋の駒はなぜ五角形なのか」という問いに対して、現在いくつかの説が提唱されています。決定的な答えはまだ見つかっていませんが、有力とされる説を順に整理していきましょう。
1. 木簡・題籤軸のリサイクル説(最有力)
もっとも広く支持されているのが、平安時代に役所で使われていた「木簡(もっかん)」「題籤軸(だいせんじく)」のリサイクル説です。
木簡とは木の板に文字を書いた記録媒体で、当時は紙が高価だったため、文書記録や荷札として大量に使われていました。題籤軸は巻物の端に取り付ける、巻物のタイトルを書く五角形の木札のことです。
これらの木簡や題籤軸は、内容が古くなると表面を小刀で削り、新しい文字を書いて再利用されていました。削っているうちにどんどん小さくなり、最終的に文書には使えなくなった小片を、将棋の駒として再利用したのではないか——というのがこの説です。
実際、奈良県の興福寺旧境内から発掘された日本最古の将棋駒(後述)は、まさに木簡を切り出して文字を書いた構造をしており、この説を裏付ける有力な物証となっています。
2. 矢印で向きを示すため(持ち駒ルール成立の鍵)
もうひとつの有力説が、「五角形=矢印」説です。日本将棋には、相手から取った駒を自分の駒として再利用できる「持ち駒」ルールがあります。これは世界のチャトランガ系ボードゲームの中で、ほぼ日本将棋にしかない独自ルールです。
この持ち駒制度を成立させるには、駒に「敵味方の区別」を付ける必要があります。チェスのように立体駒であれば、白黒に塗り分けて区別できますが、平面駒で色を変えると裏返した時に分かりにくい。
そこで日本将棋は「駒の向き=五角形の尖った先端の方向」で敵味方を区別する方法を採用しました。自分から見て先端が前を向いていれば自分の駒、向こう向きなら相手の駒です。色や塗装に頼らないこの仕組みは、奪った駒を即座に自分の駒として打てる持ち駒ルールと相性抜群でした。
つまり五角形は、単なる装飾的な形ではなく、日本将棋特有のルールを支える機能的なデザインだったというわけです。
3. 手に持ちやすい・指で挟みやすい説
盤上で駒を動かす際、人差し指と中指で駒を挟む持ち方が一般的です。五角形の角張った形状は、丸い駒よりも指で挟みやすく、勢いよく盤に打ち付けても滑りにくいという実用的なメリットがあります。
プロ棋士の対局を見ていると、駒を盤に「パチン」と音を立てて打つ場面がありますが、この打ちやすさは五角形ならではの特徴です。
4. 盤上で駒を区別しやすい実用説
盤面に40枚(自分20枚+相手20枚)の駒が並ぶ将棋では、駒同士の境界を瞬時に把握する必要があります。五角形の特徴的な形状は、ぱっと見たときに駒の輪郭が明確で、しかも先端の向きで敵味方が一目で分かるという二重の利便性があります。
5. 平安時代からの慣習説
そもそも平安時代に駒が作られた時から五角形だったため、その後の将棋類の進化(平安将棋→大将棋→中将棋→小将棋→本将棋)の中で、形だけは変わらず受け継がれた——という慣習説です。
事実、現存する最古の将棋駒(1058年頃、興福寺出土)はすでに五角形であり、それから約1000年経った現代の駒とほぼ同じ形を保っています。日本の伝統工芸の中でも、これほど長期間形状が変わらなかった例は珍しいといえるでしょう。
世界の将棋類との形状比較
将棋の起源は、古代インドで生まれた「チャトランガ」というボードゲームと考えられています。チャトランガはシルクロードや海路を経て世界に広がり、各地で独自の発展を遂げました。
日本の将棋がいかに独特な形をしているか、世界の将棋類と比較してみましょう。
| 名称 | 地域 | 駒の形状 | 持ち駒ルール |
|---|---|---|---|
| チャトランガ | 古代インド | 立体(彫像) | なし |
| チェス | ヨーロッパ | 立体(彫像) | なし |
| シャンチー(中国象棋) | 中国 | 円形(平面) | なし |
| チャンギ(朝鮮将棋) | 朝鮮半島 | 八角形(平面) | なし |
| マークルック | タイ | 立体(彫像) | なし |
| 日本将棋 | 日本 | 五角形(平面) | あり |
こうして並べてみると、平面の駒を採用しているのはシャンチー・チャンギ・将棋の東アジア勢ですが、その中でも五角形は日本だけです。さらに「持ち駒ルール」を採用しているのも、世界のチャトランガ系ゲームの中で日本将棋と「禽将棋(きんしょうぎ)」だけと言われています。
つまり「五角形+持ち駒」という組み合わせは、日本独自の将棋文化が生んだ革新的な発明なのです。
8種類の駒の名前と由来
本将棋で使われる駒は8種類(王将と玉将を別々に数えれば9種類)です。それぞれの名前には、平安時代の貴族文化や貿易事情を反映した、興味深い由来があります。
当時、将棋は貴族や僧侶などの知識層が遊ぶ高級な娯楽でした。駒の名前に「金」「銀」「桂」「香」など宝物や貴重品の名を冠したのは、戦いのイメージを和らげ、雅な遊戯としての品格を保つための工夫だったと考えられています。

王将・玉将(おうしょう・ぎょくしょう)
盤上で最も重要な駒で、相手に取られると負けが決まります。動きは「自分の周囲8マスのいずれかに1マスずつ」で、攻撃力は弱いものの、絶対に守らねばならない存在です。
将棋には「王将」と「玉将」の2種類があり、駒としての機能は完全に同じです。ではなぜ2種類あるのでしょうか。
もともと平安将棋には「玉将」しかありませんでした。「玉」は宝石・玉石(ぎょくせき)の意味で、王よりも貴重なものとして扱われていたとも、単に「ぎょく」という音が貴族文化に合っていたとも言われています。後の時代に「王将」が追加された理由は諸説ありますが、字体が「玉」に似ていることから自然発生的に使われ始めたとも考えられています。
現代の対局では「天に二日なく、地に二王なし」という言葉から、上位者(先生・上手)が「王将」を、下位者(生徒・下手)が「玉将」を使う慣例があります。プロ同士なら段位が上の方が王将、アマでも先生役が王将を持つのが基本です。
飛車(ひしゃ)
縦と横に何マスでも動ける、攻撃力最強クラスの駒です。「飛車」とは「飛ぶように走る車」「馬車」のこと。古代中国の戦闘でも馬車は最高の戦力であり、その意味で命名されました。成ると「竜王(りゅうおう)」となり、飛車の動きに加えて斜め1マスの動きが追加されます。
角行(かくぎょう)
斜めに何マスでも動ける駒です。「角」は牛の角を意味し、飛車が「馬車」なら角行は「牛車(ぎっしゃ)」と対比される存在。盤の角まで一直線に動けることから、その名が付いたとも言われています。成ると「竜馬(りゅうま)」となり、角行の動きに加えて縦横1マスの動きが追加されます。
金将(きんしょう)
縦横と斜め前方の計6方向に1マス動ける駒です。「金」は当時の最高級の貴金属で、王将に次ぐ重要な守備駒として位置づけられました。金将は成ることができません(成るとそれ以上格上げされてしまうため)。後述する「と金」「成銀」「成桂」「成香」など、他の駒が成った時の動きはすべて金将と同じです。
銀将(ぎんしょう)
縦と斜め前後の計5方向に1マス動ける駒です。金より少し動きが弱いものの、攻めにも守りにも使える万能駒。成ると「成銀(なりぎん)」となり、金と同じ動きになります。
桂馬(けいま)
2マス前方の斜め(左前または右前)にジャンプできる、唯一「他の駒を飛び越せる」駒です。チェスのナイトに似た動きですが、桂馬は前方にしか進めない点が独特です。
「桂」は平安時代に貴重品とされた肉桂(シナモンのこと)から取られたとされ、桂木を積み荷にした馬という意味合いだと考えられています。香辛料の桂木を運ぶ馬は、シルクロード交易を彷彿とさせるロマンのある命名です。成ると「成桂」となり、金と同じ動きになります。
香車(きょうしゃ)
前方にひたすら何マスでも進める駒です。後ろや横には動けないため「やり投げ」のような役割を担います。
「香」は香木のお香を指します。平安時代、お香は貴族文化の象徴で、たいへん高価な貿易品でした。その原料となる香木を積み荷にした車という意味で「香車」と名付けられたと考えられています。成ると「成香」となり、金と同じ動きになります。
歩兵(ふひょう)
1マスだけ前方に進める、もっとも数が多く(各9枚)動きの弱い駒です。しかし「下級兵士」として軽んじられがちなこの歩兵こそ、実は将棋戦術の要となります。
歩兵が敵陣(相手の3段目以内)に進むと「と金」に成り、金将と同じ動きができるようになります。最弱の駒が一気に金将級に格上げされるこの仕組みが、後述する「成金」という言葉の語源にもなりました。

成り駒の仕組みと「と金」の謎
将棋の魅力的なルールのひとつが「成り(なり)」です。駒が敵陣(相手から見た自分の3段目)に入ると、裏返して別の駒に変身させることができます。
成れる駒・成れない駒の一覧
| 元の駒 | 成り後 | 成り後の動き |
|---|---|---|
| 歩兵(ふひょう) | と金(ときん) | 金と同じ |
| 香車(きょうしゃ) | 成香(なりきょう) | 金と同じ |
| 桂馬(けいま) | 成桂(なりけい) | 金と同じ |
| 銀将(ぎんしょう) | 成銀(なりぎん) | 金と同じ |
| 飛車(ひしゃ) | 竜王(りゅうおう) | 飛+斜め1マス |
| 角行(かくぎょう) | 竜馬(りゅうま) | 角+縦横1マス |
| 金将(きんしょう) | 成れない | — |
| 王将・玉将 | 成れない | — |
なぜ歩・香・桂・銀は「金と同じ動き」になるのか
歩兵・香車・桂馬・銀将の4つはすべて「成ると金と同じ動き」になります。これは将棋を簡略化する重要な工夫です。
もし駒ごとに別の動きを成り後に与えてしまうと、ルールが複雑になりすぎてプレイしにくくなります。「金以下の駒(歩・香・桂・銀)は敵陣に入ったら全部金と同じ動きになる」と統一することで、覚えやすくスピーディーな展開を実現しているのです。
ちなみに、「金」は将棋類の中でも独特の動きをする駒で、世界のチャトランガ系ゲームには対応する駒がありません。日本将棋オリジナルの動きパターンといえます。
「と」の文字は何?金の崩し字説
歩兵が成った「と金」の駒には、裏面に「と」という平仮名のような文字が書かれています。なぜ「と」なのでしょうか。
もっとも有力なのは「金の崩し字説」。漢字の「金」を行書・草書で崩していくと、「と」のような形に見えてくるという説です。試しに「金」を崩して書いてみると、確かに「と」に近い形になります。
もうひとつの説は「今(こん)の崩し字説」。「金(きん/こん)」と同じ「こん」と読む「今」の崩し字を借りた、というものです。いずれも漢字の崩し書きが起源とされています。
「成金」の語源は将棋の歩兵
急にお金持ちになった人を「成金(なりきん)」と呼びますが、この言葉は将棋の「歩兵が成って金将と同じになる」現象から生まれました。
本来は最弱の駒だった歩が、敵陣に入った瞬間に金将級に格上げされる——この劇的な変身が、急に成功した人へのたとえとして定着したのです。明治時代以降、株式投資や不動産で急に財を成した人を指す言葉として広まりました。
日本将棋特有の「持ち駒」ルール
世界でほぼ日本だけの奪取システム
日本将棋の最大の特徴は、相手から取った駒を自分の駒として再利用できる「持ち駒」ルールです。チェス・シャンチー・チャンギ・チャトランガなど、世界の主要な将棋類はすべて「取った駒は盤上から消える」のが基本ルールでした。
取った駒を自分の駒として打てる革命的なルールを採用しているのは、日本将棋のほか、駒数の少ない簡略版「禽将棋(きんしょうぎ)」のみです。これにより、終盤になっても駒が減らず、無限に近い展開のバリエーションが生まれます。
五角形が成立させた革命的ルール
持ち駒ルールが日本でしか発展しなかった理由のひとつが、駒の形状にあります。チェスのような立体駒では、白黒に塗り分けて敵味方を区別するため、相手の駒を奪っても自分の駒として使えません(色を塗り直すわけにいかない)。
一方、五角形の平面駒は「向き」だけで敵味方を区別できるため、相手の駒を奪った瞬間に向きを反転させるだけで自分の駒として使えます。この「再利用しやすさ」こそが、持ち駒ルールを成立させた決定的な要因なのです。
逆にいえば、五角形でなければ持ち駒ルールは生まれなかった可能性が高いといえます。木簡リサイクルから偶然生まれた五角形が、世界に類を見ない複雑なゲーム性を実現させた——日本将棋史でもっともロマンのある進化です。
持ち駒ルールはいつ生まれたか
持ち駒ルールが成立した正確な年代は不明ですが、室町時代(15〜16世紀)頃に「小将棋」から現代の「本将棋」へと進化する過程で確立したと考えられています。
当時の小将棋は駒の取り捨てルール(取られた駒は消える)でしたが、「終盤で駒が減りすぎて勝負がつかなくなることが多い」ため、取った駒を再利用するルールが追加されたという推定が有力です。
将棋の歴史と最古の駒
チャトランガからの伝来
将棋の起源は古代インドの「チャトランガ」です。チャトランガは6世紀頃に成立したとされ、シルクロードと海路を通じて世界各地に伝わりました。
西へ伝わった系統はペルシャの「シャトランジ」を経てヨーロッパで「チェス」となり、東へ伝わった系統は中国で「シャンチー」、朝鮮半島で「チャンギ」、タイで「マークルック」、そして日本で「将棋」となりました。
日本への伝来時期と経路は諸説あり、確定していません。①インド→中国→朝鮮→日本ルート、②インド→東南アジア→日本ルート、の2説が主に提唱されています。

興福寺で出土した1058年の駒
日本最古の将棋駒は、奈良県の興福寺旧境内から発掘されたものです。1993年と2013年の発掘調査で、玉将・金将・銀将・桂馬・歩兵などの駒木地が、「天喜六年(1058年)」と記された題籤軸とともに出土しました。
これにより、平安時代の中期には既に将棋が遊ばれていたことが確実視されています。同時に出土した駒の中には、現在の本将棋にはない「酔象(すいぞう)」という駒もあり、当時の将棋は現代とはやや異なるルール体系だったと推測されます。
注目すべきは、この1058年の駒もすでに五角形だったという点です。約1000年前から、将棋駒の基本形状は変わっていないことが物証として確認できる、大変貴重な発見です。
消えた駒「酔象(すいぞう)」
「酔象」は、平安〜室町時代にあった将棋の駒で、王将(玉将)の前に配置されていました。動きは「真後ろ以外の7方向に1マスずつ」で、成ると「太子(たいし)」となります。
太子は王将と同じ動きをするだけでなく、太子が盤上にいる限り、王将を取られても負けにならないという特殊なルールを持っていました。
つまり酔象が成ると王が2人いる状態になり、両方を取らないと勝てなくなるのです。室町時代後期に酔象は本将棋から除外され、現在の駒構成に落ち着きました。
平安将棋から本将棋への進化
| 時代 | 将棋の種類 | 駒数 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 平安時代 | 平安将棋 | 各16枚(玉・金・銀・桂・香・歩) | 飛車・角行なし、持ち駒ルールなし |
| 平安時代 | 平安大将棋 | 各34枚 | 13種類の駒、複雑化 |
| 鎌倉〜室町 | 大将棋 | 各65枚 | 15×15の盤、ますます複雑化 |
| 室町 | 中将棋 | 各46枚 | 12×12の盤、簡略化 |
| 室町 | 小将棋 | 各21枚 | 9×9の盤、酔象あり |
| 室町後期 | 本将棋 | 各20枚 | 酔象除外、持ち駒ルール確立 |
このように、将棋は「複雑化→簡略化→ルール革新」の流れを経て、現代の本将棋に落ち着きました。江戸時代に入ると幕府が将棋三家(大橋家・大橋分家・伊藤家)を保護し、現代の家元制度や名人位の原型が築かれます。
駒の書体は約100種類!代表的な9書体
将棋の駒に書かれている文字は、ただ印刷しているわけではありません。職人が彫る駒の世界では、約100種類以上の伝統書体が存在し、それぞれ異なる味わいを持っています。

将棋駒の主要書体一覧
| 書体名 | 由来 | 特徴 |
|---|---|---|
| 錦旗(きんき) | 後水尾天皇の書を豊島龍山が転写 | もっとも有名・標準的 |
| 水無瀬(みなせ) | 水無瀬家の貴族が江戸時代に4代にわたり揮毫 | 「金」の字が丸まり、優雅 |
| 巻菱湖(まきりょうこ) | 幕末三筆の一人・巻菱湖の書 | 力強く、ファンに高評価 |
| 源兵衛清安(げんべえきよやす) | 江戸時代の駒師・源兵衛清安の書 | 太く重厚な字 |
| 長録(ちょうろく) | 江戸時代の長禄盤に由来 | 古風で味のある書体 |
| 清安(きよやす) | 源兵衛清安の系統 | 標準的でバランスよし |
| 淇洲(きしゅう) | 明治の書家・淇洲の書 | 近代的で読みやすい |
| 無双(むそう) | 名駒師による独自書体 | 個性的で人気 |
| 菱湖(りょうこ) | 巻菱湖の略称 | 巻菱湖と同系統 |
3大書体・4大書体とは
愛好家の間で頻繁に語られるのが「3大書体」または「4大書体」という分類です。一般的には「錦旗・水無瀬・巻菱湖」の3つを3大書体、これに「源兵衛清安」を加えたものを4大書体と呼びます。
とくに錦旗は「将棋駒作りは錦旗に始まり錦旗に終わる」と言われるほど標準的な書体で、駒師の腕の見せ所として重要視されてきました。プロ棋士の対局で使われる高級駒も、錦旗書体のものが多く採用されています。
駒の素材と高級駒の世界
黄楊(つげ)が最高級素材
将棋駒の素材は様々ありますが、最高級は「本黄楊(ほんつげ)」と呼ばれる日本産の黄楊(つげ)です。黄楊は成長が極めて遅い樹木で、木目が緻密で粘り強く、彫刻に最適な硬さと柔軟性を兼ね備えています。
御蔵島黄楊と薩摩黄楊の違い
本黄楊には大きく分けて2種類あります。
| 種類 | 産地 | 特徴 |
|---|---|---|
| 御蔵島黄楊(みくらじまつげ) | 東京都・御蔵島 | 淡黄色〜白っぽく、木目が細かい。やや柔らかい |
| 薩摩黄楊(さつまつげ) | 鹿児島県 | 密度が高く硬質。実戦向き |
どちらも貴重な天然素材で、駒1セット40枚分の木目を揃えるのは非常に困難です。そのため、最高級の本黄楊駒には100万円を超える価格が付くこともあります。プロ棋士のタイトル戦で使われるような特上駒は、まさに「動く美術工芸品」と呼ぶにふさわしい存在です。
天童市が全国シェア90%の産地
将棋駒の生産では、山形県天童市が圧倒的なシェアを誇ります。全国の将棋駒のうち、なんと90%以上が天童市で作られています。
天童で将棋駒作りが始まったのは江戸時代末期。わずか2万石の小藩・織田藩が、家臣の貧窮を救うため内職として将棋駒作りを奨励したのが始まりです。明治以降は本格的な産地として発展し、現在も「将棋の聖地」として知られています。
天童将棋駒は国の伝統的工芸品にも指定されており、職人の彫り技術は世代を超えて受け継がれています。市内には将棋駒の博物館や、駒型の街灯まであり、町全体が将棋に染まっているのが特徴です。
将棋の駒にまつわるFAQ
Q1. 王将と玉将、どっちが強い?
駒としての機能は完全に同じです。動きも役割も同じで、どちらかが強いということはありません。慣例として上位者が王将、下位者が玉将を持ちます。
Q2. なぜ将棋の駒の裏面の文字が赤いことがある?
表面(金や黒の文字)と区別しやすくするため、伝統的に裏面(成り駒の文字)は朱色で書かれてきました。対局中に成った駒を瞬時に識別できる工夫です。ただしすべての駒が朱色とは限らず、書体や工房によって異なります。
Q3. 最古の将棋駒はいつのもの?
1058年(天喜六年)頃と推定される、奈良県興福寺旧境内出土の駒が最古です。1993年と2013年の発掘で発見されました。
Q4. 「酔象」とは何ですか?
平安〜室町時代の将棋にあった駒で、王将の前に配置されていました。後ろ以外の7方向に1マスずつ動け、成ると「太子」となって王と同じ働きをします。室町後期に本将棋から除外され、現在は使われていません。一部の派生将棋(中将棋など)では今も使われています。
Q5. なぜ日本だけ持ち駒ルールがあるの?
諸説ありますが、五角形の平面駒だったため「向きで敵味方を区別できる」=「奪った駒を即座に自分の駒として使える」という形状的なメリットがあったこと、また終盤で駒が減りすぎる問題を解消するため、室町時代頃に成立したと考えられています。
Q6. 駒の向きで敵味方を判別する方式は世界でも珍しい?
はい、極めて珍しい方式です。世界の将棋類は色分け(チェス)や形状の違い(チャトランガの彫像)で区別するのが一般的で、駒そのものの向きで区別する方式は日本将棋ならではです。
Q7. 高級将棋駒はいくらするの?
素材と作りで大きく変わります。プラスチック駒なら数千円、桑材や朴材の彫り駒で1〜3万円、本黄楊の彫り駒で10〜30万円、最高級の盛り上げ駒(職人が漆で文字を盛り上げた逸品)なら100万円を超えるものもあります。
まとめ:五角形は1000年続く日本の発明
将棋の駒が五角形である理由を、5つの説と歴史的背景から解説してきました。要点を改めて整理します。
- 有力説は「平安時代の木簡・題籤軸のリサイクル」(最古の駒が物証)
- 五角形の向きで敵味方を区別→世界唯一の「持ち駒」ルールが成立
- 8種類の駒は宝物の名前を冠した平安貴族の遊戯文化を反映
- 歩兵が成る「と金」が「成金」という言葉の語源になった
- 世界の将棋類で五角形+持ち駒の組み合わせは日本将棋(と禽将棋)のみ
- 1058年の興福寺出土駒以来、約1000年間ほぼ同じ形状を維持
- 最高級駒は本黄楊製で100万円超、産地は山形県天童市が全国シェア90%
普段何気なく使っている五角形の駒には、平安時代の役所の節約精神、貴族文化の優雅さ、そして世界に類を見ないルール革新まで、たくさんのドラマが詰まっていました。
次に将棋を指す機会があれば、ぜひ駒の向きや形状にも注目してみてください。「この五角形がなければ、現代の将棋はもっと単純なゲームだったかもしれない」と思うと、1枚1枚の駒がますます愛おしく見えてくるはずです。

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