「夏は来ぬ」歌詞5番完全解説|卯の花・ホトトギスの意味と佐佐木信綱

サムネ「夏は来ぬ」歌詞解説

初夏の風がそよぎ始める5月。学校の音楽の授業や合唱コンクールで「卯の花の匂う垣根に〜」と歌った記憶を持つ人は多いのではないでしょうか。明治29年(1896年)に発表された唱歌「夏は来ぬ」は、わずか5番の歌詞のなかに卯の花・ホトトギス・五月雨・早乙女・橘・蛍・楝(おうち)・水鶏(くいな)・五月闇と、初夏を象徴する季語を9つも織り込んだ、日本語の美しさが凝縮された一曲です。

ところが歌詞を一語一語問い直してみると、「卯の花って白い豆腐のおから?」「忍音(しのびね)って何?」「玉苗ってアクセサリー?」「楝(おうち)は植物?」と、現代人にはとっさに意味が浮かばない古語が次々に出てきます。本記事では、作詞者・佐佐木信綱(ささき のぶつな)と作曲者・小山作之助(こやま さくのすけ)の経歴から、5番すべての歌詞解説、各季語の植物学・気象学・文学史的背景、教科書掲載の歴史、そして「日本の歌百選」選出の経緯まで、約10000字で総まとめします。

じつは私も、子どもの頃に「夏は来ぬ」を歌いながら「卯の花って何?おから?」とずっと不思議に思っていた口です。大人になって調べてみたら、5番の歌詞のなかに明治の歌人がしのばせた古典文学の引用や、田植えの情景描写、さらには「ぬ」の古語的な意味(じつは過去・完了であって否定ではない)まで、宝物のように詰まっていることに気がつきました。本記事は「歌っていたけど意味は知らない」を「全部わかる」に変える1記事です。

「夏は来ぬ」基本データ早見表

本論に入る前に、唱歌「夏は来ぬ」の基本情報をひと目でわかる表にまとめます。

項目 内容
正式名称 夏は来ぬ(なつはきぬ)
作詞 佐佐木信綱(ささき のぶつな/1872-1963)
作曲 小山作之助(こやま さくのすけ/1864-1927)
初出 明治29年(1896年)5月『新編教育唱歌集 第五集』
歌詞 全5番
季節 初夏(旧暦4月〜5月/新暦5月〜6月)
主な季語 卯の花・ホトトギス・忍音・五月雨・早乙女・玉苗・橘・蛍・楝・水鶏・五月闇・夕月
選出歴 2007年(平成19年)「日本の歌百選」選出
その他 北陸新幹線 上越妙高駅の発車メロディ(2015年3月14日〜)
意味 「夏が来た」(「ぬ」は完了の助動詞、否定ではない)

「夏は来ぬ」とは|タイトルの「ぬ」は否定ではない

卯の花(ウツギ)の白い花が垣根に咲く様子

まず最初に押さえておきたいのが、タイトルの「夏は来(き)ぬ」の「ぬ」の意味です。現代日本語の感覚で読むと「夏は来ない」という否定のように聞こえますが、これは古語の助動詞「ぬ」で、完了・過去を表します。つまり「夏は来た」「夏が来てしまった」が正しい意味です。

古語の「ぬ」は「〜してしまった」というニュアンスを持ち、「完了したこと」を強く印象づける働きがあります。「行きぬ」「咲きぬ」「春は来ぬ」のように、平安時代の和歌や明治の文語体で頻繁に使われた表現です。「夏は来ぬ」が文語体で書かれているのは、佐佐木信綱が国文学者で『万葉集』研究の第一人者だったことと深く関係しています。

MEMO
同じ「ぬ」でも、未然形に付くと打消(〜しない)、連用形に付くと完了(〜した)になります。「来(き)」は「来(く)」の連用形なので、「夏は来ぬ」は「夏が来た」の意味で確定します。万葉集にも「春過ぎて夏来(き)たるらし」「春は来(き)ぬる」など類似表現が多数登場します。

全5番の歌詞と現代語訳一覧

まず全5番の歌詞を一覧で確認しましょう。各番の主役となる季語と現代語訳を表にまとめます。

歌詞(原文) 主な季語 現代語訳
1 卯の花の/匂う垣根に/時鳥(ほととぎす)/早も来鳴きて/忍音(しのびね)もらす/夏は来ぬ 卯の花、ホトトギス、忍音 卯の花が真っ白く咲き誇る垣根に、ホトトギスがもう来て鳴き、その年初めての忍び鳴きを聞かせている。夏が来たのだ
2 さみだれの/そそぐ山田に/早乙女(さおとめ)が/裳裾(もすそ)ぬらして/玉苗(たまなえ)ぬるる/夏は来ぬ 五月雨、早乙女、玉苗 五月雨が降り注ぐ山あいの田で、早乙女が着物の裾を濡らしながら、清らかな苗を植えている。夏が来たのだ
3 橘(たちばな)の/薫(かお)るのきばの/窓近く/蛍(ほたる)飛びかい/おこたり諌(いさ)むる/夏は来ぬ 橘、蛍 橘の花が薫る軒の窓の近くを蛍が飛び交い、勉学の怠りを諌めている(蛍雪の故事)。夏が来たのだ
4 楝(おうち)ちる/川辺(かわべ)の宿の/門(かど)遠く/水鶏(くいな)声して/夕月すずしき/夏は来ぬ 楝、水鶏、夕月 楝の花が散る川辺の宿の門の遠くで水鶏が鳴き、夕月が涼しく感じられる。夏が来たのだ
5 五月闇(さつきやみ)/蛍飛びかい/水鶏(くいな)鳴き/卯の花咲きて/早苗(さなえ)植えわたす/夏は来ぬ 五月闇、蛍、水鶏、卯の花、早苗(5番は1〜4番の総まとめ) 五月闇のなか蛍が飛び交い、水鶏が鳴き、卯の花が咲き、早苗を植えわたしている。夏が来たのだ

5番は1〜4番に登場した季語をすべて再登場させた「総まとめ」の構造になっており、和歌の「畳み掛け」「列挙」の技法が使われています。佐佐木信綱の国文学者としての教養が伺える構成です。

1番|卯の花とホトトギス・忍音の意味

卯の花は「ウツギ」のこと(おからではない)

「卯の花の匂う垣根に」と歌われる卯の花は、ユキノシタ科ウツギ属の落葉低木「ウツギ(空木)」の花のことです。学名 Deutzia crenata。5月から6月にかけて、直径1〜2cmほどの真っ白な花を房状に咲かせます。古来日本の生け垣として植えられ、田畑の境界線にも用いられてきました。

「卯の花」と呼ばれるのは、旧暦4月=卯月(うづき)に咲くため。「卯月の花」が略されて「卯の花」となりました。ちなみに「おから(豆腐の搾りかす)」を卯の花と呼ぶのは、ウツギの花が真っ白で粒粒した見た目に似ていることから連想された別名で、こちらは江戸時代以降の比喩表現です。

MEMO
ウツギの茎の中心が空洞(中空)であることから「空木(うつぎ)」と名付けられました。万葉集にも「卯の花を腐す霖雨(ながめ)」(卯の花を腐らせるほどの長雨)という表現があり、初夏の雨期と卯の花は古来セットで詠まれてきました。「卯の花腐し(うのはなくたし)」は梅雨入り前の長雨を指す季語にもなっています。

「匂う」は香りではなく「色が映える」

「匂う垣根に」の「匂う」は、現代語の「香り」ではなく、古語「にほふ」の「色がぱっと目に映える」「色つやが鮮やか」という視覚的な意味です。卯の花は実際にはほぼ無臭か、わずかに花の甘い香りがする程度で、強い芳香はありません。あくまで「白く咲き誇る垣根が映える」という色彩描写です。

万葉集にも「桜花にほひ栄えて」(桜が色鮮やかに咲き誇って)という表現があり、「にほふ」は古典では視覚に重きを置く語でした。香り(嗅覚)の意味で「匂う」が一般化したのは江戸期以降と言われています。

ホトトギスと「忍音」とは

ホトトギス(杜鵑)は5月頃に日本へ夏鳥として渡来し、「テッペンカケタカ」「特許許可局」と聞こえる甲高い声で鳴く鳥です。Cuculus poliocephalus、カッコウ科の托卵鳥として知られます。

「忍音(しのびね)」とは、その年初めて聞かれるホトトギスの鳴き声のこと。声をひそめるように、まだ完全に張り上げていない初音(はつね)を指す古語です。『古今和歌集』『枕草子』『源氏物語』など平安期の古典に頻出する表現で、初夏の到来を告げる風物詩として愛好されました。

『枕草子』第三十九段「鳥は」の有名な記述:「ほととぎす、なほさらにいふべき方なし。いつしかしたり顔にも聞こえたるに、卯の花、花橘などにやどりをして、はた隠れたるも、ねたげなる心ばへなり」。清少納言は卯の花・橘とホトトギスをセットで称賛しており、「夏は来ぬ」の1〜3番の構成は『枕草子』の影響を強く感じさせます。

2番|五月雨・早乙女・玉苗

早乙女の田植え(浮世絵)

五月雨(さみだれ)は梅雨のこと

2番冒頭の「さみだれのそそぐ山田に」の五月雨は、旧暦5月(新暦6月)に降る長雨を指します。現代の「梅雨」と同じものです。「さ」は「皐月(さつき)」「早苗(さなえ)」「早乙女(さおとめ)」と共通する接頭辞で、稲作・田植えに関わる神聖な「さ」と言われます。「みだれ」は「水垂れ」が転じたもの、あるいは「降り乱れる」が縮約されたものとされます。

松尾芭蕉「五月雨をあつめて早し最上川」(奥の細道、1689年)、与謝蕪村「五月雨や大河を前に家二軒」、正岡子規「五月雨や上野の山も見あきたり」など、古今の俳人がこぞって詠んだ夏の季語です。「夏は来ぬ」の2番は、田植え時期と梅雨の長雨が重なる初夏の風景を切り取っています。

早乙女と玉苗|田植えの神聖な情景

「早乙女(さおとめ)」は田植えをする若い女性のこと。古来、田植えは神聖な労働とされ、特に若い女性が主役を務めました。これは稲の豊穣を司る神(田の神)を迎え、その年の豊作を祈る儀礼的な意味合いを持っていたためです。「玉苗(たまなえ)」は美しい苗、清らかな稲の苗の意。「玉」は美称で、「玉手箱」「玉串」と同じく対象を尊ぶ接頭辞です。

明治期の田植えは、苗代田(なわしろだ)で育てた苗を本田に手で植え替える「手植え」が主流でした。早乙女たちは並んで腰をかがめ、苗を一本一本田に挿していく重労働。佐佐木信綱は山あいの田(山田)に降る五月雨と、裾を濡らしながら働く早乙女たちの姿を、写実的かつ清浄に描いています。

MEMO
農林水産省の統計では、現在の田植えは99%以上が田植え機による機械植えで、手植えは儀式的な場面(御田植祭など)でしか見られません。三重県の伊雑宮(いざわのみや)御田植式や住吉大社の御田植神事は、早乙女が今も主役を務める伝統儀礼として続いています。「夏は来ぬ」の歌詞は、こうした田植えの原風景を現代に伝える貴重な文化資料でもあります。

3番|橘・蛍と「蛍雪の功」

ヤマトタチバナの白い花

橘(たちばな)は日本固有の柑橘

3番「橘の薫るのきばの窓近く」の橘は、ヤマトタチバナ(学名 Citrus tachibana)のこと。日本に古くから自生する柑橘類で、5月頃に小さな白い花を咲かせ、ほのかに甘い香りを放ちます。果実は小さく酸味が強いため食用には向きませんが、平安時代から「不老不死の霊果」として珍重されてきました。

古事記には垂仁天皇が田道間守(たじまもり)に命じて常世国から「非時香菓(ときじくのかくのこのみ)」を持ち帰らせたという伝説があり、これが橘の起源とされます。京都御所紫宸殿の「左近の桜・右近の橘」は、平安以来の宮中儀礼の象徴として有名です。

「橘の薫る」の「薫る」は卯の花の「匂う」と違い、本当に橘の花の甘い香りを指す嗅覚的表現です。万葉集の「橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の樹」(聖武天皇の御製)に見られるように、橘は実・花・葉・枝のすべてが愛でられる珍重な樹木でした。

「おこたり諌むる」は「蛍雪の功」の典故

「蛍飛びかい/おこたり諌むる」のくだりは、中国の故事「蛍雪の功」を踏まえています。『晋書』巻八十三・車胤伝に、貧しくて灯火の油が買えなかった車胤(しゃいん)が夏は蛍を集めて袋に入れて読書をし、孫康(そんこう)は冬は雪明かりで読書をして大成したという話があります。

蛍が窓辺を飛び交うのを見て「自分の勉学の怠りを諌めてくれている」と感じる、という文人趣味の表現です。明治期の唱歌は「修身教育(道徳教育)」と密接に結びついており、卒業式で歌われる「蛍の光」(小山作之助の同僚・稲垣千頴作詞、1881年)も、まさに同じ「蛍雪の功」を引用しています。

ここの「おこたり諌むる」を読むたびに、明治の唱歌が単なる風景描写じゃなくて、子供たちに勉強しなさいって遠回しに言ってる教育ソングだったんだなって気付かされます。曲も歌詞もしっとり美しいのに、底にはちゃんと教訓が仕込まれている。明治人の知的なユーモアを感じる一節です。

4番|楝・水鶏・夕月の幻想的な夜景

楝(センダン)の薄紫色の花

楝(おうち)はセンダンの古名

4番「楝ちる川辺の宿」の楝(おうち)は、現代名「センダン(栴檀)」のこと。学名 Melia azedarach、センダン科の落葉高木です。5月から6月にかけて、薄紫色の小さな星形の花を房状に咲かせ、秋には小さな黄色い果実をつけます。

「栴檀は双葉より芳し」のことわざに出てくる「センダン」は、本来はインド原産のビャクダン(白檀/Santalum album)のことで、日本のセンダン(楝)とは別物です。日本の楝はビャクダンのような芳香はなく、薄紫の花が印象的な樹木です。

「楝ちる川辺の宿」は、薄紫の花がはらはらと散る川辺の宿の情景。視覚的にも色彩豊かで、初夏の物憂げな夕暮れを象徴する一幕です。

水鶏(くいな)は田の鳥

「水鶏(くいな)声して」のクイナは、ツル目クイナ科の水辺の鳥。学名 Rallus aquaticus(ヒクイナの場合は Zapornia fusca)。日本では夏鳥として5月頃に渡来し、田や湿地・川辺の葦原に生息します。「キョッ、キョッ」「カッ、カッ」と戸を叩くような独特の声で鳴き、そのリズムから「クイナの叩く音」「水鶏の戸を叩く音」と古典で表現されてきました。

古今和歌集にも「夏の夜の伏すかとすればほととぎす鳴く一声に明くるしののめ」のような水辺の夏の鳥が詠まれており、ホトトギス・水鶏・蛍は初夏の夜を彩る三大要素として古来愛好されてきました。

「夕月すずしき」|涼を視覚で表現

「夕月すずしき」は、夕方の月の青白い光に涼しさを感じる、という視覚的な「涼」の表現。蒸し暑い初夏の夜にあって、月の光だけが静かに涼しい。和歌・俳句で頻出する季節感の表現法で、聴覚(水鶏の声)・嗅覚(楝の香り)・視覚(夕月)の三感を駆使した、佐佐木信綱らしい繊細な情景描写です。

5番|全季語の総まとめ・畳み掛けの技法

ゲンジボタル(蛍)の青い光

5番「五月闇/蛍飛びかい/水鶏鳴き/卯の花咲きて/早苗植えわたす/夏は来ぬ」は、1〜4番に登場したすべての季語を再登場させた「総まとめ」の構成です。和歌・俳句における「畳み掛け」「列挙」の技法を駆使し、初夏の風物詩を一気に視覚化しています。

「五月闇」の幻想性

「五月闇(さつきやみ)」は旧暦5月=新暦6月の梅雨期、雨雲に覆われて月明かりも見えない暗い夜のこと。万葉集・古今集にも頻出する季語で、ジメジメした蒸し暑さと不安感を伴う夜の闇です。同じ闇でも秋の闇(清涼)・冬の闇(凛とした静謐)・春の闇(朧夜)とは異なり、湿気と熱気を含んだ独特の空気感があります。

満開の卯の花だけが闇のなかに白く浮かび、蛍の青い光が点滅し、水鶏の戸を叩く声が遠くから聞こえる。視覚・聴覚を総動員した「初夏の夜の幻想曲」が5番です。

「早苗植えわたす」の労働風景

5番冒頭で田の闇と幻想の世界を提示しつつ、最後に「早苗植えわたす」と労働の風景に着地する構成は秀逸です。1番の「忍音もらす」(鳥の声)→2番の「玉苗ぬるる」(田植え)→3番の「蛍飛びかい」(昆虫)→4番の「夕月すずしき」(月)→5番ですべて回収、という起承転結ならぬ「起承転転結」の見事な構成。

感覚 主な情景 象徴する時間帯
1 視覚+聴覚 卯の花の白+ホトトギスの鳴き声 朝〜昼
2 視覚+触覚 五月雨と田植えの早乙女
3 嗅覚+視覚 橘の薫りと蛍の光 夕暮れ
4 視覚+聴覚 散る楝・水鶏の声・夕月
5 全感覚総動員 1〜4の総まとめ 夜+労働風景

作詞・佐佐木信綱|万葉学の第一人者で歌人

佐佐木信綱の肖像(万葉集研究の第一人者)

「夏は来ぬ」の作詞者・佐佐木信綱(ささき のぶつな、1872-1963)は、明治・大正・昭和の三代を生きた歌人・国文学者です。三重県鈴鹿郡石薬師村(現・鈴鹿市石薬師町)の出身で、父・佐々木弘綱も国学者・歌人という学問の家系に育ちました。

5歳で作歌・東京帝大で万葉集を講じる

父の教えを受けて5歳で作歌を始め、1882年(明治15年)10歳で上京、宮内省御歌所長を務めた高崎正風(たかさき まさかぜ)に歌を学びました。1884年(明治17年)東京大学文学部古典講習科に12歳で進学し、1888年(明治21年)卒業。翌年から父と共編で『日本歌学全書』全12冊の刊行を開始するという、早熟の天才でした。

1898年(明治31年)に短歌結社「竹柏会(ちくはくかい)」を主宰し、機関誌『心の花』を創刊。森鷗外の『めざまし草』や、落合直文・与謝野鉄幹らとの「新詩会」での活動など、明治期の文学運動の中心人物の一人として活躍しました。

1904年(明治37年)から26年間、東京帝大で教鞭を執り、『日本歌学史』(1910)、『和歌史の研究』(1915)、『校本万葉集』全20巻(1924-1925)など、万葉集研究の決定版とも言える業績を残しました。1937年(昭和12年)、第1回文化勲章を受賞。歌人・国文学者として日本一の権威となりました。

「夏は来ぬ」を作詞した時期

「夏は来ぬ」の作詞は、信綱24歳の頃。文部省検定の唱歌集に多数の詞を提供しており、「夏は来ぬ」のほか「水師営の会見」「勇敢なる水兵」など、明治の名唱歌の作詞も手掛けています。万葉集研究で培った古典語彙の知識を、教科書唱歌の歌詞に惜しみなく注ぎ込んだ結果が「夏は来ぬ」の重層的な季語構成につながりました。

MEMO
佐佐木信綱の生家(三重県鈴鹿市石薬師町)は現在「佐佐木信綱記念館」として保存・公開されており、自筆の歌稿・蔵書・遺品などを見学できます。鈴鹿市は信綱の業績を顕彰する「佐佐木信綱顕彰会」を組織し、信綱賞(短歌の賞)を毎年運営しています。

作曲・小山作之助|「夏は来ぬ」を生んだ上越の音楽教育者

小山作之助の肖像(東京音楽学校教授)

「夏は来ぬ」の作曲者・小山作之助(こやま さくのすけ、1864-1927)は、新潟県上越市潟町(かたまち)出身の作曲家・音楽教育者です。日本の近代音楽教育の草分けの一人として、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)で教鞭を執り、生涯に1000曲を超える唱歌・童謡・軍歌・校歌を作曲しました。

無断で上京し、伊沢修二の門下生に

1864年(元治元年)越後国頸城郡潟町村に生まれ、1880年(明治13年)16歳で無断で上京。大学予備門を経て築地大学で英語と数学を学び、1883年(明治16年)文部省音楽取調所(現・東京藝大音楽学部の前身)に入学、日本の音楽教育の祖・伊沢修二(いさわ しゅうじ)に師事しました。

1887年(明治20年)音楽取調所が東京音楽学校に改組されると首席で卒業し、研究生・教授補助を経て、1897年(明治30年)に教授に昇格。1903年(明治36年)に同校を退職するまで、滝廉太郎(たき れんたろう)・本居長世(もとおり ながよ)など、日本の音楽史に名を残す多くの教え子を育てました。

1000曲超の作曲家

小山作之助の代表作は「夏は来ぬ」のほか、「敵は幾万」「日本海海戦」「漁業の歌」「数え歌」など多数。校歌の作曲も非常に多く、北は北海道から南は鹿児島まで、全国の小・中・高校の校歌を約500曲手掛けたと言われます。

故郷の上越市潟町には小山作之助の銅像が建ち、上越市立大潟町中学校の校歌も小山作品です。北陸新幹線「上越妙高駅」の発車メロディ(2015年3月14日開業時に採用)に「夏は来ぬ」が選ばれたのは、作曲者の郷土上越への顕彰の意味も込められています。

項目 佐佐木信綱(作詞) 小山作之助(作曲)
生没年 1872年7月8日 – 1963年12月2日 1864年1月19日 – 1927年6月27日
出身地 三重県鈴鹿市石薬師町 新潟県上越市大潟区潟町
本職 歌人・国文学者(東京帝大教授) 作曲家・音楽教育者(東京音楽学校教授)
主な業績 『校本万葉集』『心の花』主宰 「夏は来ぬ」「敵は幾万」校歌約500曲
受賞 第1回文化勲章(1937年) 勲六等瑞宝章
師匠/弟子 父・佐々木弘綱、高崎正風 伊沢修二/滝廉太郎・本居長世
「夏は来ぬ」作成時の年齢 24歳 32歳

『新編教育唱歌集 第五集』と明治期の唱歌

「夏は来ぬ」の初出は、明治29年(1896年)5月発行の『新編教育唱歌集 第五集』。これは大日本図書から出版された全8集247曲を収録した唱歌教科書で、文部省の検定を受けた民間出版の音楽教科書でした。「夏は来ぬ」は第五集の冒頭近くに配置され、当時の学校教育の現場で広く歌われました。

明治期の唱歌教育の歴史

1872年(明治5年)の学制発布で「唱歌」が小学校の正式教科となりましたが、当時は教える歌が乏しく、外国曲に日本語詞を付けたものが大半でした。1879年(明治12年)文部省が音楽取調掛を設置し、伊沢修二をリーダーに本格的な国産唱歌の制作が始まります。1881年(明治14年)『小学唱歌集』第一編、1883年第二編、1884年第三編が刊行され、「蝶々」「蛍の光」など今に残る名曲が誕生しました。

1890年代になると、外国曲ベースから完全国産曲へのシフトが進み、『新編教育唱歌集』(1896-1900年、全8集)はこの完全国産化期の代表作です。「夏は来ぬ」の作曲者・小山作之助は同唱歌集の編集・作曲に深く関与し、日本古典の季語を活かした新しい唱歌の方向性を打ち出しました。

戦後の教科書掲載とリバイバル

戦後、「夏は来ぬ」は教科書から一時姿を消しますが、文語体歌詞の格調と古典季語の美しさが見直され、1971年(昭和46年)小学校6年共通教材に再採用、その後も中学校音楽教科書に継続的に掲載されています。1979年6月〜7月にはNHK「みんなのうた」で三枝成彰の編曲によって放送、1982年・2012年にも再放送され、世代を超えて歌い継がれてきました。

私の親世代は学校で「卯の花の匂う垣根に」を当たり前に歌っていたそうですが、今の小中学生に「夏は来ぬって知ってる?」と聞くと首をかしげる子も多いと聞きます。歌い継がれるかどうかは、教科書掲載と「親が口ずさんでくれる環境」の両方が必要だなと感じます。だからこそこういう記事で歌詞の美しさを残しておきたい。

「日本の歌百選」選出と現代の評価

2007年(平成19年)1月、文化庁と日本PTA全国協議会が共同で「親子で歌い継いでほしい日本の歌百選」を発表し、「夏は来ぬ」が101曲(同点採用)の一つに選ばれました。同時に選ばれたのは「赤とんぼ」「荒城の月」「故郷」「春の小川」「茶摘」「七つの子」「桃太郎」など、いずれも明治・大正・昭和の名唱歌・童謡ばかりで、「夏は来ぬ」の文化的地位を改めて示す結果となりました。

「日本の歌百選」は、応募総数895曲のなかから1万人以上の投票で選ばれたもので、投票者の年齢層は20代から80代まで幅広く、世代を超えて支持されている曲ばかりです。「夏は来ぬ」は明治期の唱歌として、文語体歌詞の美しさと古典季語の凝縮度が評価されたとされます。

北陸新幹線 上越妙高駅の発車メロディ

2015年(平成27年)3月14日、北陸新幹線(長野-金沢間)開業に伴い、新駅「上越妙高駅」が新潟県上越市に開業。発車メロディに「夏は来ぬ」のフレーズが採用されました。これは作曲者・小山作之助の出身地が上越市潟町であることを記念したもので、新幹線の発車メロディとしてはきわめて珍しい唱歌の採用例です。

JR東日本の発車メロディは、駅周辺の文化的・歴史的シンボルにちなむことが多く、地域アイデンティティを音で表現する取り組みの一つ。上越妙高駅で「夏は来ぬ」のメロディを聴くたびに、上越が小山作之助を生んだ土地であることを旅人にも思い出してもらえる仕掛けです。

関連する5月文化記事|端午の節句・茶摘み歌・俳句

「夏は来ぬ」は5月の風物詩を凝縮した唱歌ですが、当ブログではこれまで5月の文化・自然をさまざまな切り口で解説してきました。関連テーマの記事を以下にまとめます。各テーマと「夏は来ぬ」の関連性も合わせて。

同じ明治の唱歌「茶摘」

「夏は来ぬ」の姉妹編として、文部省唱歌「茶摘」(1912年)の歌詞解説をまとめた記事があります。「夏も近づく八十八夜」で始まる茶摘み歌は、立春から88日目(2026年は5月2日)に茶摘みを始める伝統行事を歌ったもので、「夏は来ぬ」と同じく初夏の季語と労働風景を主題にしています。

ホトトギスを深く知る

1番に登場するホトトギスを、鳴き声・漢字15種・万葉集・正岡子規との関係まで深掘りした記事も用意しています。「特許許可局」「テッペンカケタカ」など、聞きなしの全パターンも紹介。

初夏の俳句「目には青葉」

5月の代表的俳句、山口素堂「目には青葉山ほととぎす初鰹」の解説記事。「夏は来ぬ」と同じく初夏の三大季語(青葉・ホトトギス・初鰹)を扱い、俳句と唱歌の表現の違いを楽しめます。

五月雨・五月闇・五月晴れの古語解説

2番・5番に登場する「五月雨(さみだれ)」「五月闇(さつきやみ)」と関係の深い「五月晴れ」の本来の意味を解説した記事。旧暦と新暦のズレが生む言葉の混乱を解きほぐします。

端午の節句の植物文化

5月5日の端午の節句に欠かせない菖蒲(しょうぶ)の文化解説。「夏は来ぬ」が描く5月の田植え・梅雨期と、端午の節句の儀礼を併せて読むと、5月の文化的厚みがより深く理解できます。

初夏の唱歌・童謡10選比較表

「夏は来ぬ」と同じく、5月〜6月の初夏を歌った日本の唱歌・童謡を10曲ピックアップして比較します。「夏は来ぬ」の文学的特徴がより際立ちます。

曲名 作詞・作曲 発表年 主な季語 特徴
夏は来ぬ 佐佐木信綱/小山作之助 1896 卯の花・ホトトギス・五月雨・橘・蛍・楝・水鶏・五月闇 5番に9季語凝縮・文語体・教科書定番
茶摘 不詳/文部省唱歌 1912 八十八夜・茶摘み・茜襷・菅笠 初夏の労働歌・口語体・八十八夜が題材
背くらべ 海野厚/中山晋平 1923 柱の傷・端午 端午の節句の家庭の風景
こいのぼり 近藤宮子/不詳 1931 鯉のぼり・大空・甍の波 5月5日の象徴歌
われは海の子 不詳/文部省唱歌 1910 海・潮風 夏休み前の海の歌
夏の思い出 江間章子/中田喜直 1949 水芭蕉・尾瀬 戦後の代表的初夏唱歌
かたつむり 不詳/文部省唱歌 1911 かたつむり・梅雨 梅雨の童謡
あめふり 北原白秋/中山晋平 1925 蛇の目・雨 梅雨の童謡定番
みかんの花咲く丘 加藤省吾/海沼實 1946 みかんの花・丘 戦後初夏の郷愁歌
ほたるこい わらべ歌 古来 蛍・水 子供たちの蛍狩りの歌

表で比較すると、「夏は来ぬ」が古語と季語の凝縮度で他を圧倒していることがわかります。文部省唱歌「茶摘」と並んで、明治・大正期の文語唱歌の最高峰の一つです。

Q&A|「夏は来ぬ」によくある疑問8選

Q1. 「夏は来ぬ」の「ぬ」は否定?

A. 否定ではありません。古語の助動詞「ぬ」で、完了・過去を表します。「夏が来た」「夏が来てしまった」が正しい意味です。連用形「来(き)」に付く「ぬ」は完了で確定します。

Q2. 卯の花は豆腐のおから?

A. 違います。本来の卯の花は、ユキノシタ科ウツギ属の落葉低木「ウツギ」の花。直径1〜2cmの白い花を5〜6月に咲かせます。「おから」を卯の花と呼ぶのは、ウツギの花の見た目に似ていることからの江戸期以降の比喩名です。

Q3. 「匂う垣根」の「匂う」は香り?

A. 古語の「にほふ」は視覚的に「色が映える」「色つやが鮮やか」の意味です。卯の花はほぼ無臭で、白い花が垣根に映える様子を視覚で表現しています。

Q4. 「忍音(しのびね)」とは?

A. その年初めて聞かれるホトトギスの鳴き声。声をひそめるように、まだ完全に張り上げていない初音(はつね)を指す古語です。『古今集』『枕草子』『源氏物語』など平安期の古典に頻出します。

Q5. 早乙女・玉苗とは?

A. 早乙女は田植えをする若い女性、玉苗は美しい稲の苗(「玉」は美称)。古来、田植えは神聖な労働とされ、若い女性が主役を務めて田の神に豊作を祈りました。

Q6. 「橘」は何?

A. ヤマトタチバナ(Citrus tachibana)という日本固有の柑橘。5月頃に小さな白い花を咲かせ、ほのかに甘い香りを放ちます。京都御所紫宸殿の「右近の橘」が有名で、平安以来の宮中儀礼の象徴です。

Q7. 「楝(おうち)」とは?

A. センダン科の落葉高木「センダン」の古名。学名 Melia azedarach。5〜6月に薄紫の星形の花を咲かせます。「栴檀は双葉より芳し」のセンダンは別物(インドのビャクダン)なので注意。

Q8. 「夏は来ぬ」はいつの教科書に載っている?

A. 初出は1896年『新編教育唱歌集 第五集』。戦後一時消えましたが、1971年に小学校6年共通教材に再採用、その後も中学校音楽教科書に継続的に掲載されています。2007年「日本の歌百選」選出。

まとめ|たった5番に凝縮された明治日本の美意識

唱歌「夏は来ぬ」は、わずか5番の歌詞に卯の花・ホトトギス・忍音・五月雨・早乙女・玉苗・橘・蛍・楝・水鶏・五月闇・夕月という12もの季語と古語を盛り込んだ、日本語の美しさが結晶した名作です。作詞者・佐佐木信綱は万葉集研究の第一人者として、平安以来の古典文学の語彙と『枕草子』の感性を歌詞にしのばせ、作曲者・小山作之助は明治期の音楽教育のリーダーとして、子供にも歌いやすい優美な旋律を付けました。

1番から4番までは時系列的に「朝→昼→夕→夜」と推移し、5番ですべての要素を回収する構成は、和歌的な「畳み掛け」の技法を見事に唱歌に落とし込んだ例です。さらに、3番の「おこたり諌むる」には『晋書』の蛍雪の故事が引かれており、明治期の唱歌が単なる風景描写にとどまらず、修身教育(道徳教育)の機能も併せ持っていたことがうかがえます。

2007年「日本の歌百選」選出、2015年北陸新幹線 上越妙高駅の発車メロディ採用と、現代でも歌い継がれる「夏は来ぬ」。次に5月の街角でこの曲の旋律を耳にしたら、ぜひ5番すべての歌詞を口ずさみ、卯の花の白さ、ホトトギスの忍音、五月闇のなかの蛍の光を思い浮かべてみてください。明治の歌人と作曲家が私たちに残してくれた、日本の初夏の宝物です。

改めて全5番の歌詞を読み直すと、明治の佐佐木信綱が古典の語彙をどれだけ大切にしていたか、そして子供たちにも美しい日本語を伝えたかったかが伝わってきます。卯の花の垣根、五月雨の田、橘の薫り、夕月の涼しさ。スマホ時代の私たちには遠い風景かもしれませんが、歌詞の意味を知って口ずさめば、初夏の日本の原風景がきっと心に蘇ります。今年の5月、ぜひ「夏は来ぬ」を声に出して歌ってみてください。

参考文献