早春賦(唱歌)の歌詞の意味とは?「春は名のみ」の現代語訳・モデルの安曇野・モーツァルト春への憧れとの類似まで徹底解説

早春賦(そうしゅんふ)とは 歌詞の意味を解説

「春は名のみの風の寒さや」。この一節で始まる唱歌「早春賦(そうしゅんふ)」は、1913年(大正2年)に生まれて以来、100年以上も日本人に歌い継がれてきた春の名曲です。

暦の上では春になったのに、風はまだ冷たい。そんな「名ばかりの春」のもどかしさを、美しい文語でうたい上げています。ただ、その歌詞は古い言葉が多く、意味がわかりにくいのも事実です。

この記事では、早春賦の歌詞全文と現代語訳、難しい古語の意味、モデルとされる安曇野・大町の風景、そしてモーツァルトの曲との類似や作者の由来まで、まとめて徹底解説します。

暦の上では春でも、体感はまだ真冬。あの「じれったさ」を100年前の人も歌にしていたんですね。

早春賦(そうしゅんふ)とは?1913年発表の春を待つ名唱歌

青空に咲く紅梅の花

早春賦は、吉丸一昌(よしまる かずまさ)が作詞し、中田章(なかだ あきら)が作曲した日本の唱歌です。1913年(大正2年)に、吉丸が編んだ歌曲集『新作唱歌』の第三集で発表されました。

タイトルの「賦(ふ)」とは、もともと漢詩の一体で、目の前の情景や心のうちをうたい上げる形式を指します。つまり早春賦とは、そのまま「早春をたたえてうたった詩(歌)」という意味なのです。

まだ寒さの残る2月から3月初旬、暦の上だけ先に来てしまった春を待ちわびる気持ちが、のびやかな旋律にのせて描かれています。2007年に文化庁と日本PTA全国協議会が選んだ「日本の歌百選」にも選ばれた、まさに日本を代表する春のうたです。

早春賦の基本データ
作詞:吉丸一昌/作曲:中田章/発表:1913年(大正2年)『新作唱歌』第三集/形式:文語の唱歌(3番まで)/「日本の歌百選」選出曲

早春賦の歌詞(全3番)と難しい読み方

まずは早春賦の歌詞を、1番から3番まで見てみましょう。各番の最後の一行は、実際に歌うときは繰り返して歌われます。

【1番】
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

【2番】
氷解け去り 葦(あし)は角ぐむ(つのぐむ)
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空

【3番】
春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる(せかるる) 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か

ひらがなで読みを添えたように、「鶯」「葦」「角ぐむ」「急かるる」など、今では見慣れない言葉が並びます。次の章で、番ごとに現代語へ訳していきます。

文字で追うと難しく見えますが、意味がわかると情景がぱっと浮かびますよ。一緒にほどいていきましょう。

「春は名のみ」の歌詞の意味を現代語訳|1番ずつ解説

早春賦の歌詞を、番ごとに現代語訳と一緒に読み解いていきます。キーワードは「暦の春」と「体感の冬」のギャップです。

1番:春は名のみの 風の寒さや

枯れ枝でさえずるウグイス(谷の鶯)

現代語訳すると、「暦の上では春といっても、それは名前だけのこと。吹く風はまだ冷たいことよ。谷のうぐいすも、歌いたいと思ってはいるけれど、まだその時ではないと、声も立てずにいる」となります。

「名のみ」は「名前だけ」、文末の「や」は「〜であることよ」という詠嘆です。うぐいすが鳴きたいのに鳴かない姿に、春を待つ人の気持ちが重ねられています。

2番:氷解け去り 葦は角ぐむ

「張っていた氷は解け去り、水辺の葦は角のような新芽を出しはじめた。さあ、いよいよ春の時が来たと思うのに、あいにく今日も昨日も、空は雪模様のままだ」という意味です。

「角ぐむ」は草木が角のような芽を出すこと、「あやにく」は「あいにく」の古い形です。春の兆しが見えたのに、また雪。期待と現実のすれ違いが2番の中心です。

3番:春と聞かねば 知らでありしを

「もう春だと聞かなければ、知らないままでいられたのに。聞いてしまったばかりに、気持ちばかりが急いてしまう。この胸のもやもやを、いったいどうしろというのだろう、そんな今日この頃です」となります。

「知らでありしを」は「知らないでいたのに」という後悔のニュアンス、「急かるる」は「気がはやる」ことです。春を意識した途端にそわそわしてしまう。とても人間らしい締めくくりです。

「知らなきゃよかった」なんて、ちょっと恋の歌みたいですよね。春を待つ気持ちって、こんなに繊細だったんだ、と思わされます。

早春賦に出てくる難しい古語・文語表現の意味

早春賦は中学校の音楽の教材としても定番で、テストでは古語の意味がよく問われます。つまずきやすい言葉を、意味と一言解説つきでまとめました。

  • 名のみ(なのみ):「名前だけ」。暦では春でも、実際の暖かさが伴っていないことを表します。
  • 風の寒さや:文末の「や」は詠嘆の助詞で、「風の寒いことよ」という感嘆になります。
  • 角ぐむ(つのぐむ):草木が角のような新芽を出すこと。「芽ぐむ」と同じで、春の兆しを表す言葉です。
  • さては時ぞと:「さては(いよいよ)その時だと」。「ぞ」は強調の係助詞で、期待の高まりを示します。
  • あやにく:「あいにく」の古い形。期待に反して都合が悪い様子を表します。
  • 知らでありしを:「知らないでいたのに」。逆接の「を」で終わり、後悔の気持ちをにじませています。
  • 急かるる(せかるる):「急かされる」「気がはやる」。春と聞いたせいで落ち着かない心の動きです。
  • いかにせよとの:「どうせよというのか」。行き場のない思いを問いかける、3番の余韻です。
テスト頻出ポイント
中学音楽の定期テストでは、作詞・吉丸一昌/作曲・中田章/変ホ長調/8分の6拍子/二部形式/弱起/速度♪=116に加えて、上の古語の意味がよく出題されます。

モデルは安曇野か大町か|早春賦の歌碑と早春賦まつり

早春賦の舞台とされる安曇野・大王わさび農場の水車小屋

早春賦の情景は、長野県の大町から安曇野一帯の早春をうたったものとされています。作詞した吉丸一昌が、旧制大町中学校の校歌制作のために信州を訪れ、北アルプスのふもとに残る寒さと、遅い春の気配に触れたことが背景にあると伝えられます。

ただし「どこの情景か」については、じつは地元でも意見が分かれています。歌碑が建つ安曇野市穂高の川沿いだとする説と、より北の大町(北安曇)の風景だとする説があり、はっきりとは決着していません。この「モデル地論争」も、早春賦の味わいのひとつです。

歌碑は、安曇野市穂高を流れる穂高川のほとりに1984年(昭和59年)建立されたものをはじめ、信濃大町駅前の公園や大町の文化会館前にも立っています。安曇野市では毎年春、歌碑の前で「早春賦まつり」が開かれ、40回を超える歴史を重ねています。

同じく信州の早春をうたった唱歌としては、菜の花畑の情景で知られる一曲もあります。あわせて読むと、当時の唱歌が描いた春の景色がより立体的に見えてきます。

水車や湧き水で有名な安曇野。あの澄んだ水の風景と「氷解け去り」の一節が、しっくり重なります。

早春賦とモーツァルト「春への憧れ」が似ている理由

早春賦を聴いて、「どこかで聴いたクラシックに似ている」と感じる人は少なくありません。よく引き合いに出されるのが、モーツァルトの歌曲「春への憧れ」(ドイツ語:Sehnsucht nach dem Frühling)K.596です。

この曲は1791年、モーツァルトが亡くなる年に書かれた最晩年の作で、「Komm, lieber Mai(来たれ、いとしの5月よ)」と歌い出す子ども向けの明るい歌曲です。旋律は同じ年の名作、ピアノ協奏曲第27番K.595の終楽章から採られています。8分の6拍子ののびやかな動きが、早春賦の旋律とよく似ていると指摘されてきました。

作曲した中田章は、東京音楽学校のオルガニストで西洋音楽に精通しており、その作品にはモーツァルトやショパンの影響がうかがえるとも言われます。似ているのは、決して偶然だけではないのかもしれません。

とはいえ、これを「パクリ」と決めつけるのは早計です。当時の唱歌は、ヨーロッパの音楽語法を学びながら日本語の歌として磨かれていきました。影響を受けつつ、日本語の抑揚に合う独自の名旋律に仕上げたと見るのが自然でしょう。曲の性格も、K.596が「5月への朗らかな憧れ」なのに対し、早春賦は「まだ来ぬ春を待ちわびる情緒」で、味わいははっきり違います。

ちなみに、森繁久彌さんの「知床旅情」の冒頭も、早春賦に似ていると言われることがあります。名旋律は時代を超えて響き合うのかもしれません。

「似てる曲」を聴き比べるのも楽しいもの。パクリと切り捨てず、影響の連鎖として味わうのが大人の聴き方ですね。

作詞・吉丸一昌と作曲・中田章の生涯

名曲の背後には、二人の音楽人がいました。それぞれの歩みを見てみましょう。

作詞・吉丸一昌(1873〜1916)

吉丸一昌は1873年(明治6年)、大分県臼杵(うすき)の生まれです。東京帝国大学の国文科に学んだのち、東京府立第三中学校の教諭を経て、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の教授になりました。

文部省の『尋常小学唱歌』を編む委員会では歌詞担当の主任を務め、さらに自ら『新作唱歌』全10集を編纂しました。その第三集に収めたのが早春賦です。しかし1916年、志なかばの43歳で世を去ります。故郷の臼杵市には、ゆかりの品を展示する「吉丸一昌記念館・早春賦の館」があります。

作曲・中田章(1886〜1931)

中田章は1886年(明治19年)生まれ。早春賦を作曲した当時は、東京音楽学校の新進のオルガニストでした。惜しくも1931年、45歳で亡くなっています。

じつはその息子が、「夏の思い出」「ちいさい秋みつけた」「めだかの学校」などで知られる作曲家・中田喜直(なかだ よしなお)です。父が「春」を、息子が「夏」や「秋」をうたい、親子二代で日本の四季を代表する名曲を残したことになります。

早春賦の中田章さんは、あの「夏の思い出」の作曲家のお父さん。親子で日本の四季を彩ったなんて素敵な話です。

早春賦の音楽的特徴|変ホ長調・8分の6拍子・弱起

早春賦は歌詞の美しさだけでなく、音楽としてもよくできた一曲です。中学音楽で学ぶポイントを整理しておきましょう。

  • 調:変ホ長調(主音は変ホ=♭ミ)。やわらかく温かい響きが、待ち望む春の気分に合います。
  • 拍子:8分の6拍子。1小節に8分音符が6つ入り、大きく2拍のまとまりとして感じられ、ゆったりと流れます。
  • 形式:二部形式(A・Bの2つのまとまり)。前半で情景を示し、後半で気持ちが高まります。
  • 弱起(じゃっき):小節の頭ではなく弱い拍から歌い出すこと。「はーるは」の出だしがまさに弱起です。
  • 速度・強弱:速度は♪=116前後。mf(少し強く)で始まり、rit.(だんだん遅く)やpp(とても弱く)などの表情記号で、繊細に歌い分けます。

のびやかな8分の6拍子と弱起の組み合わせが、あの「ふわり」と歌い出す独特の浮遊感を生んでいます。

歌詞や意味についてよくある質問(早春賦Q&A)

最後に、早春賦についてよく検索される疑問をまとめて答えます。

Q. 早春賦とはどういう意味ですか?
A.「賦」は漢詩の一体で、情景や心情をうたい上げる形式のこと。早春賦は「早春をたたえてうたった詩(歌)」という意味です。

Q. いつの季節をうたった歌ですか?
A. 立春(2月4日ごろ)を過ぎてから、まだ寒さが残る2月から3月初旬の「早春」です。

Q. 何調・何拍子ですか?
A. 変ホ長調・8分の6拍子です。中学音楽のテストでも頻出のポイントです。

Q. モーツァルトのパクリなのですか?
A. モーツァルトの「春への憧れ」K.596との類似は指摘されますが、盗作と断定はできません。当時の唱歌が西洋音楽を学んで作られた背景をふまえ、「影響」と見るのが妥当です。

Q.「春は名のみ」とはどういう意味ですか?
A. 暦の上では春になったが、それは名前だけで実際はまだ寒い、という意味です。

まとめ|春を待ちわびる心をうたう早春賦

早春賦は、暦だけ先に来た「名ばかりの春」のもどかしさを、美しい文語でうたった1913年生まれの唱歌でした。

歌詞は、うぐいすが鳴けずにいる1番、雪がぶり返す2番、そわそわする心を持てあます3番へと、待つ気持ちが少しずつ高まっていく構成になっています。

モデルは信州の大町から安曇野一帯とされ、モデル地論争や毎年の早春賦まつりも語り草です。モーツァルトの「春への憧れ」との類似も、断定せず「影響」として味わうのが大人の聴き方でしょう。

作詞の吉丸一昌、作曲の中田章という二人の歩みを知ると、この一曲がいっそう味わい深く聴こえてきます。今年の早春は、意味を思い浮かべながら口ずさんでみてください。

寒の戻りに「春はまだかな」と思ったら、ぜひ早春賦を。100年前の人と同じ気持ちで春を待てますよ。

早春賦のモデル地や作詞者について、詳しくは以下の公式サイトも参考にしてください。