秋が深まると、どこからともなく聞こえてきそうな「更(ふ)けゆく秋の夜(よ)、旅の空の……」。学校の音楽の授業や、テレビの片隅で、誰もが一度は耳にした唱歌「旅愁(りょしゅう)」です。
ところがこの名曲、実は日本で生まれたメロディーではありません。原曲ははるかアメリカ。そして海を渡った中国では「送別(そうべつ)」というまったく別の題名で、今も国民的な愛唱歌として歌い継がれています。
作詞したのは犬童球渓(いんどう きゅうけい)という音楽教師でした。故郷を遠く離れた土地で、深い孤独の中からこの詞を生み出したのです。
この記事では、「旅愁」の歌詞の全文と意味、少しむずかしい文語表現の解説、作詞者・犬童球渓の生涯、アメリカの原曲、そして中国「送別」との知られざるつながりまで、まるごと徹底解説します。

目次
「旅愁」の歌詞(全文)と意味をやさしく解説

秋の夜長は、どこか物思いにふけりたくなる季節です。
まずは「旅愁」の歌詞を、1番・2番とも全文で見てみましょう。歌詞は2番までで、それぞれの番の最初の2行が、最後にもう一度くり返される構成になっています。この形は、のちほど紹介するアメリカの原曲を受け継いだものです。
「旅愁」一番の歌詞と意味
わびしき思いに ひとり悩む
恋しやふるさと なつかし父母(ちちはは)
夢路(ゆめじ)にたどるは 故郷(さと)の家路(いえじ)
更けゆく秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとり悩む
秋の夜がしんしんと更けていく旅先の空の下で、ひとり、わびしい思いにふけっている……。恋しいのは故郷、懐かしいのは父と母。そんな望郷の思いを、この歌は静かにうたい出します。
いちばんの見どころは「夢路にたどるは故郷の家路」の一行です。夢の中でさえ、たどっているのは故郷へ帰る道。起きているときも眠っているときも、心はいつも故郷にある、という切なさがこの一行に凝縮されています。
「旅愁」二番の歌詞と意味
はるけき彼方(かなた)に こころ迷う
恋しやふるさと なつかし父母
思いにうかぶは 杜(もり)のこずえ
窓うつ嵐に 夢もやぶれ
はるけき彼方に こころ迷う
2番では、窓を打つ嵐の音で、故郷の夢からふと覚めてしまいます。はるか遠いふるさとの方へ、心だけがさまよっていく。浮かんでくるのは、故郷の杜(もり)に茂る木々の梢(こずえ)です。
1番が「夢の中で故郷へ帰る」情景なら、2番はその夢さえも嵐に破られてしまいます。よりいっそう深い孤独が描かれているのが、この2番なのです。
「旅愁」の歌詞に出てくる文語表現をやさしく解説
「旅愁」の歌詞には、いまはあまり使わない古い言葉づかいが多く含まれています。意味の取りにくい言葉を、やさしく整理してみましょう。
- 更(ふ)けゆく:夜がだんだん深まっていくこと。「夜が更ける」の「更ける」です。
- わびしき:さびしくて、心細いようす。「わびしい」の古い言い方です。
- 夢路(ゆめじ):夢の中の道のこと。夢を見ることを、昔は「夢路をたどる」と表現しました。
- はるけき:はるか遠い、という意味。距離だけでなく、心の遠さも感じさせる言葉です。
- 杜(もり)のこずえ:「杜」は神社の森のように木が茂った場所、「こずえ(梢)」は木の枝の先。故郷の風景そのものを象徴しています。
- 父母(ちちはは):両親のこと。「ちちはは」と読むと、より古風であたたかな響きになります。
そして「旅愁」ならではの特徴が、各番の最初の2行を最後にもう一度くり返す構成です。同じ言葉がぐるりと戻ってくることで、「帰りたい、けれど帰れない」という望郷の思いが、心の中をいつまでも巡り続ける切なさとして響いてきます。

「旅愁」を作詞した犬童球渓とはどんな人物か

犬童球渓の故郷・熊本県人吉市を流れる球磨川。日本三大急流のひとつに数えられる清流です。
「旅愁」の詞を生み出した犬童球渓とは、どんな人物だったのでしょうか。その生涯を知ると、歌詞にただよう切なさの理由が見えてきます。
故郷・球磨川の渓谷が生んだペンネーム「球渓」
犬童球渓は1879年(明治12年)、熊本県球磨郡藍田村(現在の人吉市)に生まれました。本名は犬童信蔵(いんどう のぶぞう)といいます。
「球渓」というペンネームは、故郷を流れる日本三大急流のひとつ、球磨川(くまがわ)の渓谷にちなんでつけたものです。名前そのものに故郷への深い愛着がこもっているところが、いかにも「旅愁」の作者らしいエピソードといえます。
各地を転々とした音楽教師の孤独
熊本師範学校を経て、1905年(明治38年)に東京音楽学校(現在の東京藝術大学)を卒業します。その後は音楽教師として、兵庫県立柏原(かいばら)中学校、続いて新潟高等女学校へと、故郷から遠く離れた土地の学校を転々としました。
とりわけ新潟高等女学校の時代は、言葉も気候も違う北国での慣れない暮らしに、心身をすり減らすほど苦しんだと伝えられています。この深い孤独と望郷の思いこそが、「旅愁」の詞が生まれた源でした。よその土地で、故郷の熊本と両親を恋いこがれる。その気持ちが、そのまま歌詞になっているのです。
望郷の詞を残した最期
その後は熊本県立高等女学校、さらに故郷の人吉高等女学校で教壇に立ちました。生涯に六百編をこえる作詞・作曲を残し、地元の学校の校歌も数多く手がけたと伝えられています。
しかし晩年は不遇で、1943年(昭和18年)、人吉市で64年の生涯を閉じました。いま故郷の人吉には犬童球渓の顕彰碑が建てられ、毎年「犬童球渓顕彰音楽祭」も開かれています。遠い異郷で故郷を思ってつくった歌が、めぐりめぐって、その故郷でいまも大切に歌い継がれているのです。

「旅愁」の原曲は米国の「Dreaming of Home and Mother」
ここまで犬童球渓の詞を見てきましたが、実は「旅愁」のメロディーは彼が作ったものではありません。原曲はアメリカの歌「Dreaming of Home and Mother(家と母を夢見て)」です。
作曲したのは、ジョン・P・オードウェイ(John Pond Ordway、1824〜1880)というアメリカの音楽家でした。「アメリカ音楽の父」と呼ばれるスティーブン・フォスター(『おおスザンナ』『スワニー河』などで有名)とほぼ同じ時代を生きた人物で、当時アメリカで大流行していた「ミンストレル・ショー」という娯楽演芸に、数々の曲を提供していました。
「Dreaming of Home and Mother」は1868年ごろの作品です。遠く離れた故郷と母を夢に見る、という郷愁あふれる歌でした。犬童球渓はこのメロディーを新潟時代に知り、原曲の「家と母を夢見る」というテーマを、そっくり自分の「故郷と父母を恋う」思いに重ねて訳詞したのです。
アメリカ生まれの望郷の歌が、遠い土地で孤独に苦しむ日本人教師の心に、ぴたりと寄り添いました。「旅愁」は、そんな偶然の出会いから生まれた名曲だったのです。

中国では「送別」として国民に愛される名曲に

「長亭外、古道辺」とうたわれる、旅立つ人を見送る古い街道の情景です。
さらに驚くのは、この同じメロディーが海を越えた中国でも、国民的な愛唱歌になっていることです。中国での題名は「送別(そうべつ、中国語でソンビエ)」。作詞したのは李叔同(り しゅくどう、1880〜1942)という人物でした。
李叔同は、日本に留学して東京美術学校で西洋画を学んだ経歴の持ち主です。1907年ごろ、留学先の日本で「旅愁」のメロディーに出会い、のちにこの曲へ中国語の歌詞をつけました。それが「送別」です。歌い出しは、次の一節で知られています。
「旅立つ人を見送る宿場のあずまやの外、古い街道のほとりには、青々とした草が空の果てまで続いている」という意味です。こちらもまた、別れと旅の情景をうたった詞になっています。
李叔同はのちに、絵画・音楽・書・演劇と、あらゆる芸術で才能を発揮した天才として知られます。ところが1918年、39歳のときにすべてを捨てて出家しました。「弘一法師(こういつほうし)」という名の高僧となり、仏教の律宗を復興させた人物として、今も中国で深く敬われています。
天才芸術家がすべてを手放して僧になる、その劇的な転身の物語も相まって、「送別」は中国の人々にとって特別な一曲になりました。映画やドラマの別れの場面でくり返し使われ、卒業式でも歌われる、いわば「中国版の蛍の光」とも言える存在です。
そして2022年、北京冬季オリンピックの閉会式でのことです。世界が見守るなか、選手たちの別れを彩る音楽として、この「送別」のメロディーが流れました。アメリカで生まれ、日本で「旅愁」となり、中国で「送別」となった一つのメロディーが、100年以上の時をこえて世界の大舞台で鳴りひびいたのです。

外国のメロディーに日本語の詞をつけた唱歌といえば、卒業式でおなじみの「蛍の光」も同じ成り立ちです。あわせて読んでみてください。
「旅愁」と同時に生まれた姉妹曲「故郷の廃家」
実は犬童球渓は、「旅愁」とまったく同じ1907年8月の音楽教科書『中等教育唱歌集』に、もう一曲の訳詞を発表しています。それが「故郷の廃家(こきょうのはいか)」です。「幾年(いくとせ)ふるさと 来てみれば……」という歌い出しの、これも望郷をうたった名曲です。
原曲はやはりアメリカの歌で、ウィリアム・S・ヘイス(William S. Hays)が作曲した「My Dear Old Sunny Home」。つまり犬童球渓は、アメリカ生まれの望郷の歌を2曲まとめて日本語に移し替えたことになります。
「旅愁」が旅先で故郷を思う歌なら、「故郷の廃家」は、久しぶりに帰った故郷がすっかり変わり果てていた歌です。二曲そろって、故郷を離れて生きた犬童球渓自身の心そのものだったのでしょう。彼にとって訳詞とは、抑えきれない望郷の思いを吐き出す手段でもあったのかもしれません。

「旅愁」の意味についてよくある質問
Q. 「旅愁」は何番までありますか?
A. 1番と2番の、2番構成です。それぞれの番の中で最初の2行が最後にくり返されるため長く感じますが、歌詞そのものは2番までです。
Q. 「旅愁」と中国の「送別」は同じ曲ですか?
A. メロディーは同じで、歌詞が違います。原曲はアメリカのオードウェイが作曲した「Dreaming of Home and Mother」。日本では犬童球渓が「旅愁」、中国では李叔同が「送別」と、それぞれ独自の歌詞をつけました。
Q. 「旅愁」の作詞者は誰ですか?
A. 熊本県人吉市出身の音楽教育者・犬童球渓(本名・犬童信蔵)です。作曲はアメリカのジョン・P・オードウェイで、犬童球渓は日本語の歌詞づけ(訳詞)を担当しました。
Q. 「旅愁」はいつの時代の歌ですか?
A. 日本では1907年(明治40年)8月、音楽教科書『中等教育唱歌集』で発表されました。原曲がアメリカで作曲されたのは1868年ごろです。
Q. 「旅愁」は名曲として認められていますか?
A. はい。2007年に選定された「日本の歌百選」の一曲に選ばれています。世代を超えて愛される、日本を代表する秋の唱歌のひとつです。
まとめ:「旅愁」は三つの国をめぐった望郷の名曲
最後に「旅愁」のポイントをふり返ります。
「旅愁」は、更けゆく秋の夜に故郷と父母を恋う、望郷の名唱歌です。歌詞は2番までで、各番の最初の2行がくり返される切ない構成になっています。
作詞したのは、熊本・人吉出身の音楽教師・犬童球渓でした。故郷を離れ、新潟などの学校を転々とした深い孤独の中から、この詞は生まれました。
メロディーの原曲は、アメリカのオードウェイが作った「Dreaming of Home and Mother」。同じ曲は中国でも李叔同によって「送別」となり、2022年の北京冬季オリンピック閉会式でも流れました。
アメリカ・日本・中国。一つのメロディーが、三つの国でそれぞれの望郷の歌になった「旅愁」。その背景を知ると、秋にふと口ずさむこの一曲が、いっそう深く心にしみるはずです。


