ペチカ(童謡)の歌詞の意味とは?ロシア民謡と誤解された真相・焼き栗売り「くりや」の謎・満州唱歌の由来まで徹底解説

「雪の降る夜は 楽しいペチカ」。冬になると、どこかで聞いたことのあるこの旋律が思い出される方も多いのではないでしょうか。

やわらかなメロディーと、くり返される「ペチカ」という言葉。けれども、いざ「ペチカってそもそも何のこと?」「どこの国の歌なの?」と聞かれると、うまく答えられない人がほとんどです。ロシア民謡だと思っていた、という声もよく耳にします。

じつはこの「ペチカ」、作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰(やまだ こうさく)という日本を代表する名コンビの作品で、しかも歌の舞台はロシアではなく、大正時代の満州(現在の中国東北部)なのです。

ロシア民謡だと思ってた人、正直に手を挙げて。実は僕もそうでした。

この記事では、ペチカの歌詞全文とその意味を1番ずつていねいに読み解きながら、「栗や栗や」の謎、「ペチカ」という暖炉の正体、そしてなぜロシア民謡と誤解されるようになったのかまで、まとめて解説していきます。

ペチカ(童謡)の歌詞全文|北原白秋・山田耕筰の冬の名曲

雪におおわれた冬の田園風景と低い夕日

まずは「ペチカ」の歌詞を全文で見てみましょう。ふだん歌われるのは1番だけですが、じつは5番まである歌です。各番とも「雪の降る夜は 楽しいペチカ」で始まり、最後は「◯◯よ ペチカ」で結ばれる、やさしいくり返しの形になっています。

一、
雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
昔昔よ 燃えろよペチカ

二、
雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ 表は寒い
栗や栗やと 呼びますペチカ

三、
雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ じき春来ます
今に楊(やなぎ)も 萌えましょペチカ

四、
雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ 誰だか来ます
お客さまでしょ 嬉しいペチカ

五、
雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
火の粉ぱちぱち 跳ねろよペチカ

改めて全文を並べると、雪の夜にペチカを囲んで過ごす一晩の情景が、少しずつ移り変わっていくのが分かります。昔話を語り、焼き栗売りの声を聞き、春を待ち、お客さまを迎え、火の粉がはねる。ひとつの暖炉の前で流れていく、ゆったりとした冬の時間が描かれているのです。

歌詞の意味を1番ずつ解説|栗と柳に込めた冬の情景

「ペチカ」の歌詞は、一見するとやさしい言葉ばかりですが、じつは1番ずつに満州の冬ならではの情景が織り込まれています。ここでは各番のポイントを順番に読み解いていきましょう。

1番「昔昔よ 燃えろよペチカ」|炉ばたの団らんと昔話

1番は、雪の降る夜にペチカの火を囲みながら「お話しましょ」と語りかける場面です。「昔昔よ」というのは、炉ばたで語られる昔話のこと。テレビもラジオもない時代、暖炉の前は家族が身を寄せ合い、昔話に耳をかたむける団らんの場所でした。

ペチカの火を見つめながら、おじいさんやおばあさんが語る昔話を聞く。そんなあたたかい光景が、この1番には込められています。

2番「栗や栗やと呼びますペチカ」|満州名物・焼き栗売りの声

路上で栗を炒って売る焼き栗売りの屋台

この歌でいちばん意味を取りちがえやすいのが2番の「栗や栗やと 呼びますペチカ」です。ひらがなで「くりやくりや」と書かれることが多いため、台所を意味する「厨(くりや)」と勘違いされることがあります。

しかし正しくは「栗や、栗や」。当時の満州で名物だった焼き栗売りの売り声で、「栗はいかがですか」と呼びかける掛け声なのです。「や」は「さおだけ屋」の「屋」と同じで、人に呼びかけるときの言い回しです。

寒い表通りから聞こえてくる焼き栗売りの声を、暖かいペチカの前で聞いている。外の寒さと、室内のぬくもりが対比になった、味わい深い一節です。

「くりや」が焼き栗売りの声だと知ると、急に情景が浮かんできますよね。

3番「今に楊も萌えましょ」|春を待つ柳の芽(萌えは燃えではない)

3番の「じき春来ます 今に楊(やなぎ)も 萌えましょペチカ」は、もうすぐ春が来て、柳の木も芽吹くでしょう、という意味です。ここで注意したいのが「萌えましょ」の「萌え」。

ペチカがくり返し「燃えろ」と歌われるので、つい「燃えましょ」と読んでしまいそうになりますが、正しくは芽が出るという意味の「萌え」です。じつは国文学の研究者でさえ、当初この部分を読みちがえていたと告白しているほどで、それだけ紛らわしい言葉なのです。

柳は古くから春を告げる木とされ、俳句でも春の季語になっています。中国でも柳(楊柳)は春の象徴でした。火が燃えるペチカのそばで、外ではやがて柳が芽吹く。「燃える」火と「萌える」芽を重ねた、白秋らしい言葉のあやが光ります。

4番「誰だか来ます お客さまでしょ」|雪の夜のお客さま

4番は、雪の夜に誰かが訪ねてくる場面です。「誰だか来ます お客さまでしょ 嬉しいペチカ」と、来客を心待ちにする気持ちがそのまま歌われています。

厳しい冬、雪をかき分けて訪ねてくれる人がいる。それだけで心がはずむ。ペチカの火がいっそう嬉しく感じられる、あたたかな一節です。

5番「火の粉ぱちぱち 跳ねろよペチカ」|燃えさかる炉の情景

最後の5番では、薪がよく燃えて火の粉がぱちぱちとはねる様子が描かれます。「火の粉ぱちぱち 跳ねろよペチカ」という言葉からは、勢いよく燃える炎の音や光までが伝わってきます。

1番の静かな昔話から始まり、5番の燃えさかる火の粉で結ばれる。雪の夜のひとときが、ペチカの火とともに豊かに移ろっていくのです。

そもそもペチカとは?ロシア式暖炉の正体と普通の暖炉との違い

炎が燃える薪ストーブ(暖炉)の様子

歌のタイトルにもなっている「ペチカ(ペーチカ)」とは、ロシア式の暖炉のことです。ロシア語の「печь(ペーチ=かまど・炉)」に由来する言葉で、レンガなどで造られた暖房設備を指します。

ふつうの暖炉は、燃やした煙がまっすぐ煙突から外へ抜けていきます。これに対してペチカは、壁の中にジグザグに煙の通り道をめぐらせ、その熱をレンガの壁全体にためこむという、蓄熱式の仕組みが特徴です。いわば壁ぜんたいが暖房器具になるイメージです。

この構造のおかげで、少ない薪でも長い時間ぽかぽかと暖かさが続き、火が消えたあとも壁の余熱で部屋が暖まります。ロシアのように極寒の地では、暖房だけでなくパンを焼く窯や煮炊きにも使われました。日本には1880年ごろ、開拓使によって北海道へ伝えられたと言われています。

MEMO
ペチカは「立ち上がりは遅いけれど、一度暖まると心地よさが長く続く」暖房です。火をたいてすぐ暖かくなるストーブとは、性格がまったく違うのですね。

ペチカは「満州唱歌」だった|白秋と耕筰が作った由来

「ペチカ」は、1924年(大正13年)に刊行された『満州唱歌集』に収められた歌です。当時、南満州鉄道の設立とともに満州へ移り住む日本人が増え、その土地の暮らしに合った唱歌が求められていました。

そこで南満州教育会からの依頼を受けて、北原白秋と山田耕筰の名コンビが、満州の子どもたちのためにこの歌を作ったのです。歌詞に登場する焼き栗売りや柳の芽といった描写は、まさに満州の冬の風物を取り入れたもの。二人は現地に取材してこの歌を作ったとも伝えられています。

じつは同じ『満州唱歌集』には、白秋・耕筰コンビによるもう一つの名曲「待ちぼうけ」も収められています。「待ちぼうけ」もまた満州の畑を舞台にした歌で、ペチカと兄弟のような関係にあります。

「待ちぼうけ」の歌詞の意味や由来については、以下の記事でくわしく解説しています。

同じ満州唱歌でも、片や暖炉、片や畑。白秋と耕筰の引き出しの多さには驚かされます。

ペチカがロシア民謡と誤解される理由|本当は満州の冬の歌

「ペチカ」を聞いて、なんとなく異国風・ロシア風の雰囲気を感じる人は多いはずです。実際、ロシア民謡だと思い込んでいる人も少なくありません。しかし前述のとおり、これは満州の日常を描いた日本の唱歌です。

誤解が広まった大きなきっかけは、テレビでの再ヒットにあります。この歌はNHK「みんなのうた」で1965年(昭和40年)12月から翌1月にかけて放送され、多くの人に親しまれました。その際、「ペチカ」という異国情緒あふれる響きから、いつしかロシア民謡のように受け取られていったのです。

本来は満州で暮らす人々の、ごくふつうの冬の夜を歌ったもの。それが時代とともに舞台の記憶が薄れ、「ペチカ=ロシアの歌」というイメージだけが独り歩きしていきました。歌そのものが持つ普遍的なあたたかさゆえに、どこの国の冬にも当てはまる歌として愛されている、とも言えるでしょう。

「ペチカ=ロシアの歌」というイメージが、じつは一本の放送から広がったというのも面白い話ですよね。
ここがポイント
ペチカ(暖炉)はロシアで生まれた設備ですが、歌「ペチカ」はロシア民謡ではなく、北原白秋・山田耕筰による日本の唱歌です。舞台も満州であって、ロシアではありません。

知っておきたいペチカの豆知識・トリビア

最後に、「ペチカ」にまつわる少しマニアックな豆知識をいくつか紹介します。人に話したくなる小ネタばかりです。

山田耕筰は「ペイチカ」と発音してほしかった

作曲した山田耕筰の自筆の楽譜では、タイトルが「ペティカ」と書かれています。さらに耕筰は、ロシア語の響きに近づけて「ペイチカ」と発音すべきだと注釈を残していました。今では「ペチカ」の呼び方がすっかり定着していますが、作曲者本人はもう少し原音に忠実な響きを望んでいたようです。

もう一つの「ペチカ」が存在した

じつは白秋の詩「ペチカ」には、山田耕筰とは別に、今川節(いまがわ せつ)という作曲家が曲をつけたバージョンも存在します。7拍子を組み合わせためずらしい曲で、白秋自身は「今川君のペチカの方が好きだ」と語ったという逸話も残っています。今日広く歌われているのは耕筰版ですが、知る人ぞ知るもう一つのペチカがあったのですね。

白秋・耕筰は数々の名曲を生んだゴールデンコンビ

北原白秋と山田耕筰のコンビは、「ペチカ」「待ちぼうけ」のほかにも、「この道」「からたちの花」など、日本の歌の歴史に残る名曲を数多く合作しました。詩人と作曲家が互いの才能を引き出し合った、まさに黄金コンビと呼ぶにふさわしい二人です。

豆知識
「ペチカ」という同じ題名で、シンガーソングライターのさだまさしさんが作った別の楽曲もあります。こちらは白秋・耕筰の唱歌とはまったく別の歌なので、混同しないよう注意しましょう。

ペチカのよくある質問(Q&A)

ここまでの内容を、よくある疑問のかたちで整理しておきます。

Q. ペチカとはどこの国の言葉ですか?

ロシア語です。「かまど・炉」を意味する「печь(ペーチ)」に由来し、レンガ造りのロシア式暖炉を指します。

Q. 「ペチカ」はロシア民謡ですか?

いいえ。北原白秋作詞・山田耕筰作曲の、れっきとした日本の唱歌です。1924年の『満州唱歌集』が初出で、歌の舞台は満州です。ロシア風の響きから誤解されがちですが、ロシア民謡ではありません。

Q. 「栗や栗や」とはどういう意味ですか?

満州で名物だった焼き栗売りの売り声です。「栗はいかがですか」と客に呼びかける掛け声で、台所を意味する「厨(くりや)」ではありません。

Q. ペチカは何番まであるのですか?

全部で5番まであります。ふだん歌われるのは1番だけですが、2番以降には焼き栗売りや柳の芽など、満州の冬の情景がていねいに描かれています。

まとめ|満州の冬を映した白秋・耕筰の名曲

童謡「ペチカ」は、北原白秋作詞・山田耕筰作曲による、大正時代の満州を舞台にした冬の唱歌です。

「ペチカ」とはロシア式の蓄熱暖炉のこと。壁全体に熱をためこむ独特の仕組みで、極寒の地の暮らしを支えてきました。

歌詞には、炉ばたの昔話、焼き栗売りの「栗や栗や」の声、春を待つ柳の芽など、満州の冬ならではの情景が5番にわたって織り込まれています。

ロシア民謡と誤解されることも多い歌ですが、その正体は満州で暮らす人々のあたたかな冬の夜を歌った日本の名曲です。今年の冬は、そんな背景を思い浮かべながら口ずさんでみてはいかがでしょうか。

背景を知ってから聞くと、あの短い一節がぐっと味わい深くなりますよ。