夏は来ぬ(唱歌)の歌詞の意味とは?卯の花・忍音・五月雨の風物と佐佐木信綱の由来まで徹底解説

夏は来ぬ 歌詞の意味

初夏の代表的な唱歌といえば「夏は来ぬ(なつはきぬ)」です。「卯の花(うのはな)の匂う垣根に…」の一節を、音楽の授業で歌った記憶がある方も多いのではないでしょうか。

ところがこの歌、いざ歌詞をよく読むと「忍音(しのびね)」「早乙女(さおとめ)」「玉苗(たまなえ)」「楝(おうち)」「水鶏(くいな)」など、意味の分からない古い言葉が次々と出てきます。タイトルの「夏は来ぬ」からして、「夏は来ない」という否定なのか、それとも「夏が来た」なのか、迷った人もいるはずです。

この記事では、「夏は来ぬ」の歌詞の意味を1番から5番まで一語ずつていねいに読み解きます。あわせて、作詞した歌人・佐佐木信綱(ささきのぶつな)が万葉集研究の第一人者だったこと、そしてこの歌が万葉集以来1000年以上つづく初夏の歌の伝統を受け継いでいることまで、由来をたっぷり解説します。

「夏は来ぬ」って、難しい言葉だらけなんですよね。ひとつずつ解きほぐしていくと、初夏の田園風景がくっきり見えてきますよ。

「夏は来ぬ」とはどんな唱歌?意味と「来ぬ」の正しい読み方

まずは基本情報と、いちばん誤解されやすい「来ぬ」の意味からおさえましょう。

「夏は来ぬ」は「夏が来た」という意味

結論からいうと、「夏は来ぬ」は「夏が来た」「夏がやって来た」という意味です。「夏は来ない」という否定ではありません。

ポイントは文語(古い文法)の「来ぬ」の読み解き方にあります。この「来ぬ」は、カ行変格活用の動詞「来(く)」の連用形「来(き)」に、完了の助動詞「ぬ」がついた形です。「〜してしまった」「〜した」という完了を表すので、「来ぬ」で「来てしまった=来た」となります。

もし「夏は来ない」という否定にしたいなら、打ち消しの助動詞「ず」を使って「来(こ)ぬ」と読み、動詞も未然形の「来(こ)」になります。同じ「来ぬ」という表記でも、読み方が「きぬ」なら完了(来た)、「こぬ」なら否定(来ない)と正反対になるのです。この歌は「なつはきぬ」なので、初夏の到来をよろこぶ歌だと分かります。

ここがポイント
「夏は来ぬ」=「夏が来た」。完了の助動詞「ぬ」なので否定ではありません。「こぬ」と読むと「来ない」になってしまうので注意です。

「夏は来ぬ」の作詞・作曲と発表年

「夏は来ぬ」は、佐佐木信綱(ささきのぶつな)が作詞し、小山作之助(こやまさくのすけ)が作曲した唱歌です。初出は明治29年(1896年)5月に刊行された『新編教育唱歌集(第五集)』でした。

資料によっては「明治33年(1900年)『新撰国民唱歌 第二集』で発表」と書かれていることがありますが、これは後から別の唱歌集に再録されたものです。最初に世に出たのは1896年と考えるのが正確です。

その後、昭和15年(1940年)ごろからNHKラジオの歌の番組でくり返し放送され、全国的に親しまれるようになりました。平成19年(2007年)には「日本の歌百選」にも選ばれています。

「夏は来ぬ」の歌詞全文(1番〜5番)

まずは全体を通して味わってみましょう。読みにくい漢字には読みがなを添えました。

一、
卯の花(うのはな)の 匂(にお)う垣根(かきね)に
時鳥(ほととぎす) 早(はや)も来(き)鳴(な)きて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

二、
五月雨(さみだれ)の 注(そそ)ぐ山田(やまだ)に
早乙女(さおとめ)が 裳裾(もすそ)濡(ぬ)らして
玉苗(たまなえ)植(う)うる 夏は来ぬ

三、
橘(たちばな)の 薫(かお)る軒端(のきば)の
窓近く 蛍(ほたる)飛びかい
怠(おこた)り諌(いさ)むる 夏は来ぬ

四、
楝(おうち)ちる 川べの宿(やど)の
門(かど)遠く 水鶏(くいな)声(こえ)して
夕月(ゆうづき)涼(すず)しき 夏は来ぬ

五、
五月(さつき)やみ 蛍飛び交い
水鶏鳴き 卯の花咲きて
早苗(さなえ)植え渡(わた)す 夏は来ぬ

全部で5番まであるんですね。ここからは1番ずつ、言葉の意味をじっくり見ていきましょう。

「夏は来ぬ」1番の歌詞の意味|卯の花・時鳥・忍音

卯の花(ウツギ)の白い花

1番は「卯の花の咲く垣根に、ホトトギスが早くもやって来て、その年最初の忍びやかな声をもらしている。ああ、夏が来た」という情景をうたっています。

卯の花(ウツギ)とは

卯の花は、アジサイ科の落葉低木ウツギ(空木)の花のことです。初夏に真っ白な小花を垣根いっぱいに咲かせます。旧暦4月を「卯月(うづき)」と呼びますが、これはこの卯の花が咲く月だから、という説があるほど、初夏を代表する花です。

「空木(うつぎ)」という名前は、茎の中が空洞になっていることに由来します。ちなみに、豆腐を作るときに出るおからを「卯の花」と呼ぶのも、その白さを卯の花になぞらえた、江戸時代の粋な言葉遊びからきています。

なお歌詞の「匂う」は、においを嗅ぐことではなく、「美しく咲きはえる」という古い意味です。実際、ウツギの花にはほとんど香りがありません。視覚的な美しさを表す「匂う」なので、ここは目で見て楽しむ景色として読むのが正解です。

時鳥(ホトトギス)と忍音(しのびね)

時鳥(ほととぎす)は、初夏に南の国から渡ってきて夏の訪れを告げる鳥です。「テッペンカケタカ」などと聞きなされる、鋭くよく通る声で知られます。忍音(しのびね)とは、その年に初めて聞く、まだ人目をはばかるように控えめなホトトギスの初音(はつね)のことです。古今和歌集の昔から歌に詠まれてきた、由緒ある言葉です。

じつはこの「卯の花+ホトトギス」という組み合わせは、作者の思いつきではありません。日本最古の歌集『万葉集』では、ホトトギスは全体で153首と、鳥のなかでもっとも多く詠まれた鳥で、卯の花や橘とセットで歌われるのが定番でした。

たとえば大伴家持(おおとものやかもち)は「卯の花も いまだ咲かねば ほととぎす 佐保(さほ)の山辺(やまへ)に 来鳴(きな)き響(とよ)もす」(卯の花もまだ咲かないのに、ホトトギスは佐保の山にやって来て鳴きたてている)と詠んでいます。「夏は来ぬ」1番の「時鳥 早も来鳴きて」は、まさにこの万葉集の世界をそのまま受け継いでいるのです。

2番の歌詞の意味|五月雨・早乙女・玉苗が描く田植え

田植えをする早乙女(明治期の手彩色写真)

2番は「五月雨の降りそそぐ山あいの田で、早乙女が着物の裾を濡らしながら、稲の若苗を植えている。ああ、夏が来た」という田植えの場面です。

五月雨(さみだれ)と山田

五月雨(さみだれ)は、旧暦5月ごろに降りつづく長雨、つまり今でいう梅雨(つゆ)のことです。「五月雨式(さみだれしき)に」という言い回しは、だらだらと途切れずに続くさまを、この長雨にたとえた表現です。山田(やまだ)は、山あいにある田んぼを指します。

早乙女(さおとめ)・裳裾(もすそ)・玉苗(たまなえ)

早乙女(さおとめ)は、田植えをする若い女性のことです。もともとは田の神さまに仕えて田植えをする神聖な役目とされ、そろいの装いで田に入りました。裳裾(もすそ)は着物の裾のこと。雨と泥で裾を濡らしながら働く姿が目に浮かびます。

玉苗(たまなえ)の「玉」は、美しいものをほめて呼ぶ美称で、田に植える稲の若苗(早苗=さなえ)を美しくいった言葉です。何気ない苗にも「玉」の一字を添えるところに、実りへの願いと初夏のみずみずしさがこもっています。

「夏は来ぬ」3番の歌詞の意味|橘・蛍・蛍雪の功

初夏に咲く橘(たちばな)の花

3番は「橘の花が香る軒先の、窓の近くを蛍が飛びかい、まるで怠けるなと諌めているようだ。ああ、夏が来た」という場面です。

橘(たちばな)の薫る軒端

橘(たちばな)は、日本に古くから自生する在来のミカンの仲間で、初夏に白い花を咲かせ、さわやかな香りを放ちます。この橘の花もまた、万葉集や古今和歌集で愛された、初夏の香りの象徴でした。

古今和歌集の有名な一首に「五月(さつき)待つ 花橘(はなたちばな)の 香をかげば 昔の人の 袖(そで)の香ぞする」(初夏に咲く橘の香りをかぐと、昔親しかった人の袖の香りを思い出す)があります。橘の香りは「昔をなつかしむ」気持ちと結びつく、特別な花だったのです。ここでも佐佐木信綱は、古典の教養をさりげなく歌に織り込んでいます。

蛍と「怠り諌むる」=蛍雪の功

後半の「蛍飛びかい 怠(おこた)り諌(いさ)むる」は、少し分かりにくい表現です。これは中国の故事「蛍雪(けいせつ)の功」をふまえています。

蛍雪の功とは、貧しくて灯り用の油が買えなかった車胤(しゃいん)が蛍を集めてその光で書を読み、孫康(そんこう)は窓辺の雪あかりで勉学に励んで、やがて立派な人物になったという、中国・晋の時代の話です。卒業式でおなじみの「蛍の光」も、同じ故事からきています。

つまり3番は、窓辺に飛びかう蛍の光を見て、「夏の夜も怠けずに励みなさい」と蛍にたしなめられているようだ、という意味になります。初夏の叙景のなかに、そっと教訓が忍ばせてあるのです。

同じ「蛍雪の功」が題名の由来になった唱歌については、以下の記事でくわしく解説しています。

4番・5番の歌詞の意味|楝・水鶏・五月闇の情景

4番と5番は、夕暮れから夜の初夏の情景に移ります。

楝(おうち)ちる川べの宿

楝(おうち)は、初夏に淡い紫色の小花を咲かせる落葉樹センダンの古い呼び名です。「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」ということわざがありますが、あのことわざの栴檀は香木の白檀(びゃくだん)を指し、この楝=センダンとは別の木なので、混同しないよう注意しましょう。

4番は「楝の花が散る川辺の家で、門の方から遠く水鶏の声が聞こえ、夕月がすずしげにかかっている。ああ、夏が来た」という、夕暮れの静かな情景です。

水鶏(くいな)が「戸を叩く」和歌の伝統

水鶏(くいな)は、水辺の草むらにひそむツル目の鳥です。「キョッ、キョッ」と鳴くその声が、戸をトントンと叩く音に似ていることから、古来「水鶏叩く(くいなたたく)」と表現されてきました。

この「戸を叩く」イメージから、和歌では水鶏を、家をたずねて戸を叩く人になぞらえて詠むのが定番でした。和泉式部(いずみしきぶ)は「水鶏だに 叩く音せば 真木(まき)の戸を 心やりにも 開けてみてまし」(水鶏でも戸を叩く音がするのなら、気晴らしにでも戸を開けてみようものを)と詠んでいます。『源氏物語』にも、光源氏が水鶏の声に戸を叩く人を重ねる場面があります。4番の「門遠く水鶏声して」にも、こうした古典の余韻がそっと響いています。

五月闇に集う初夏の風物(5番)

5番は「五月闇のなか蛍が飛びかい、水鶏が鳴き、卯の花が咲いて、早苗を一面に植えわたしていく。ああ、夏が来た」と、これまで登場した風物を一つの場面に集めた締めくくりです。

五月闇(さつきやみ)は、梅雨どきの、月もなく暗い夜のことです。卯の花・ホトトギス(水鶏)・蛍・早苗と、1番から4番までの景物がここで勢ぞろいし、初夏の一日をぐるりと描ききって歌が閉じられます。とてもよくできた構成です。

1番から4番の景色が、5番でぜんぶ集まってくる構成。じつに見事ですよね。ではこの歌を作ったのは、いったいどんな人だったのでしょう。

「夏は来ぬ」を作った佐佐木信綱と小山作之助の由来

これほど古典の香りが濃い歌詞が生まれた背景には、作詞者の経歴が大きく関わっています。

作詞・佐佐木信綱は万葉集研究の第一人者

佐佐木信綱(ささきのぶつな、1872〜1963年)は、三重県鈴鹿市石薬師町に、国学者の家の長男として生まれた歌人・国文学者です。「夏は来ぬ」を作詞したのは、20代半ばの若き日のことでした。

信綱は生涯を万葉集の研究に捧げ、全国を歩いて古写本を調べ上げ、『校本万葉集』などの大著をまとめて、近代の万葉集研究の礎を築いた第一人者です。歌誌『心の花』を創刊して多くの歌人を育て、昭和12年(1937年)には第1回文化勲章を受章しました。

「夏は来ぬ」に卯の花・ホトトギス・橘・水鶏といった万葉集ゆかりの景物がちりばめられているのは、偶然ではありません。万葉びとが初夏に愛した歌の世界を知り尽くした信綱だからこそ、それを子どもの唱歌のなかに自然に凝縮できたのです。

作曲・小山作之助と発車メロディ

作曲した小山作之助(こやまさくのすけ、1863〜1927年)は、新潟県上越市大潟区の生まれで、東京音楽学校(現・東京藝術大学)を首席で卒業した音楽教育者です。「日本教育音楽協会」の初代会長を務め、生涯に1000曲を超える作品を残しました。

「荒城の月」で知られる滝廉太郎(たきれんたろう)の才能をいち早く見抜き、ドイツ留学を勧めたのもこの作之助でした。故郷の縁から、北陸新幹線・上越妙高駅では「夏は来ぬ」のメロディが発車メロディとして使われています。

作詞者が万葉集の大家だったと知ると、歌詞の見え方が変わりますよね。何気なく歌っていた唱歌に、1000年分の教養が詰まっていたわけです。

まとめ|「夏は来ぬ」の歌詞の意味と魅力

「夏は来ぬ」の「来ぬ」は「来ない」ではなく「来た」。初夏の到来をよろこぶ歌でした。

1番から5番まで、卯の花・ホトトギス・五月雨・早乙女・橘・蛍・楝・水鶏と、初夏の風物が惜しみなく詰め込まれています。

そしてそれらは、作詞者・佐佐木信綱が万葉集研究の大家だったからこそ選ばれた、1000年以上の時をこえて愛されてきた景物でした。「夏は来ぬ」は、たった5番の唱歌のなかに古典和歌のエッセンスを凝縮した、いわば「初夏のアンソロジー」なのです。

言葉の意味が分かると、この歌の景色はぐっと鮮やかになります。梅雨から夏へと移るこの季節に、ぜひ歌詞を味わいながら口ずさんでみてください。

難しい言葉も、意味が分かればもう怖くありませんね。今年の初夏は、景色を思い浮かべながら「夏は来ぬ」を歌ってみてください。