
「ただ一面に立ちこめた 牧場の朝の霧の海」ではじまり、「鐘が鳴る鳴る かんかんと」というフレーズが耳に残る、小学校でおなじみの文部省唱歌です。
朝霧につつまれた牧場、どこかで鳴る鐘、羊の鈴、そして牧童の笛。わずか三番の歌詞のなかに、夜明け前から朝へと移りゆく牧場の時間が、鮮やかに描かれています。
でも、この歌のモデルになった牧場がどこにあるのか、「かんかんと」鳴る鐘の正体は何なのか、そして作詞者は本当は誰なのか。意外と知られていないことばかりです。
この記事では、「牧場の朝」の歌詞全文とその意味を一番ずつ、モデルとなった福島県の岩瀬牧場、オランダから贈られた鐘の物語、作詞者をめぐる謎、そして作曲者の知られざる最期まで、まるごと徹底解説します。
目次
「牧場の朝」とはどんな唱歌?
「牧場の朝」は、1932年(昭和7年)12月に発行された国定教科書「新訂尋常小学唱歌(四)」に初めて掲載された文部省唱歌です。作詞は杉村楚人冠(すぎむら そじんかん)とするのが定説、作曲は船橋栄吉(ふなばし えいきち)です。
「文部省唱歌」とは、明治から昭和にかけて、国が小学校の音楽教育のために編纂した歌のことです。当時の慣例として、教科書に載せる唱歌は作者名を公表しませんでした。このことが、後で紹介する「作詞者は誰か」という謎を生むことになります。
発表から90年以上たった今も、「牧場の朝」は小学校4年生の歌唱共通教材として学習指導要領に定められ、全国の子どもたちが歌い継いでいます。2006年には文化庁と日本PTA全国協議会が選定した「日本の歌百選」にも選ばれました。
- ジャンル:文部省唱歌
- 初出:1932年(昭和7年)「新訂尋常小学唱歌(四)」
- 作詞:杉村楚人冠(定説・異論あり)
- 作曲:船橋栄吉
- 現在:小学4年生の歌唱共通教材/日本の歌百選(2006年)
「牧場の朝」の歌詞(全3番)
まずは歌詞の全文を見てみましょう。作詞・作曲ともに著作権の保護期間が終わっているため、ここに全文を掲載します。
一番
ただ一面に立ちこめた
牧場の朝の霧の海
ポプラ並木のうっすりと
黒い底から勇ましく
鐘が鳴る鳴る かんかんと
二番
もう起き出した小舎小舎の
あたりに高い人の声
霧につつまれ あちこちに
動く羊の 幾群の
鈴が鳴る鳴る りんりんと
三番
今さし昇る日の光
夢からさめた森や山
あかい光に染められた
遠い野末に牧童の
笛が鳴る鳴る ぴいぴいと
読んでみると、それぞれの番が「かんかんと(鐘)」「りんりんと(鈴)」「ぴいぴいと(笛)」という三つの音で締めくくられていることに気づきます。この音の反復が、朝の牧場のにぎわいをいきいきと伝えてくれます。

「牧場の朝」の歌詞の意味を一番ずつ解説

この歌のいちばんの魅力は、三つの番をとおして時間が少しずつ進んでいく構成にあります。一番は夜明け前、二番は人々が起き出すころ、三番は日の出。まるで一本の短い映画を見ているように、朝の牧場が明るくなっていきます。それぞれの番を詳しく見ていきましょう。
一番:夜明け前、霧の海に鐘が鳴る
一番の舞台は、日が昇る前のまだ薄暗い時間です。牧場一面に霧が立ちこめ、その様子を「霧の海」と表現しています。海のように広がる霧のなかに、ポプラ並木がぼんやりと(「うっすりと」)浮かび上がります。
そして霧の「黒い底」、つまり暗い地面のあたりから、「かんかん」と鐘の音が力強く(「勇ましく」)響いてきます。この鐘こそ、一日の仕事の始まりを告げる合図です。まだ何も見えない霧のなかに、まず音だけが聞こえてくる。とても印象的な情景です。
二番:人が起き出し、羊の鈴が鳴る
二番になると、牧場に生活の気配が広がります。「小舎(こや)」とは家畜小屋のことで、「小舎小舎の」はあちこちの小屋を指します。もう起き出した小屋のあたりから、牧場で働く人々の声が高く聞こえてきます。
霧のなかにはあちこちに羊の群れ(「幾群(いくむれ)」=いくつもの群れ)が動いていて、その首につけられた鈴が「りんりん」と鳴っています。一番では鐘の音だけだった牧場に、今度は人の声と羊の鈴が加わり、少しずつにぎやかになっていきます。
三番:日が昇り、牧童の笛が鳴る
三番でついに朝日が昇ります。「今さし昇る日の光」に照らされ、夜(眠り)から覚めた森や山が目を覚まします。あたりは朝日の「あかい光」に染められ、いよいよ一日が本格的に始まります。
そして遠い野原のはて(「野末(のずえ)」)では、牧童(ぼくどう=牛や羊の世話をする少年)が吹く笛が「ぴいぴい」と鳴っています。霧に閉ざされた夜明け前から、光あふれる朝へ。三つの番をとおして、牧場が完全に目を覚ますまでを描ききっているのです。

「牧場の朝」の歌詞に出てくる言葉の意味
歌詞には、今ではあまり使わない言葉や、唱歌ならではの言い回しが登場します。意味を知っておくと、情景がぐっと鮮やかになります。
- 霧の海:一面に広がる霧を、海にたとえた表現。雲海のイメージです。
- うっすりと:「うっすらと」の古い言い方。ぼんやりとかすんで見える様子です。誤植ではありません。
- 小舎(こや):家畜を入れておく小屋のこと。
- 幾群(いくむれ):いくつもの群れ。たくさんの羊の群れを表します。
- 野末(のずえ):野原のはて、遠く広がる野原の向こう側のこと。
- 牧童(ぼくどう):牧場で牛や羊の世話をする少年のことです。
言葉の意味がわかると、「霧の海」から「あかい光」へと移りゆく色彩の変化まで感じ取れて、歌の味わいが一段と深まります。
「牧場の朝」のモデルとなった牧場は福島県の岩瀬牧場

「牧場の朝」のモデルとされているのは、福島県岩瀬郡鏡石町(かがみいしまち)にある岩瀬牧場です。北海道の牧場がモデルだという説もありますが、鏡石町の岩瀬牧場とするのが定説で、町自身もこの歌を「町のシンボルソング」に定めています。
岩瀬牧場は、日本で初めての本格的な西洋式牧場として知られています。そのはじまりは明治時代にさかのぼります。1876年(明治9年)の明治天皇の東北巡幸をきっかけに開拓が計画され、1880年(明治13年)に宮内省の開墾所として開設されました。その後は皇族が経営する「御料牧場」、つまり皇室のための牧場となった歴史ある場所です。
広大な敷地にポプラ並木が続き、乳牛や羊が放牧される風景は、まさに「牧場の朝」に描かれた情景そのものです。現在は観光牧場として開放され、動物とふれあえるスポットとして親しまれています。
「鐘が鳴る鳴る かんかんと」の鐘はオランダから贈られた
「牧場の朝」でもっとも耳に残るフレーズといえば、一番の「鐘が鳴る鳴る かんかんと」でしょう。実はこの鐘には、日本とオランダを結ぶ心温まる物語があります。
1907年(明治40年)、岩瀬牧場はオランダからホルスタイン種の乳牛13頭と農機具を輸入しました。このとき、両国の友好の証としてオランダから贈られたのが、一つの青銅の鐘でした。歌詞に登場する「かんかんと」鳴る鐘は、まさにこのオランダの鐘だとされています。
牧場ではこの鐘を、朝・昼・夜、そして作業の始まりと終わりを告げる合図として鳴らしていました。歌詞の「鐘が鳴る鳴る かんかんと」が仕事始まりの合図であることが、これでよくわかります。
この鐘は今も現存し、鏡石町の指定文化財として大切に保存されています。100年以上前にオランダから海を渡ってきた一つの鐘が、日本を代表する唱歌のなかで今も鳴り続けているのです。

唱歌のなかには、こうして情景の背景に実在の風景や物語が息づいているものが少なくありません。同じように季節の情景を美しく描いた唱歌については、こちらの記事もあわせてどうぞ。
「牧場の朝」の作詞者は誰か?杉村楚人冠をめぐる謎
「牧場の朝」の作詞者は、定説では杉村楚人冠(1872〜1945)とされています。楚人冠は本名を杉村広太郎といい、朝日新聞の記者として活躍したジャーナリストであり、随筆家・俳人でもありました。晩年を過ごした千葉県我孫子市には、今も杉村楚人冠記念館があります。
楚人冠が作詞者とされる根拠は、1910年(明治43年)12月に、彼が東京朝日新聞へ岩瀬牧場を訪れた紀行文を寄稿していたことにあります。この紀行文に描かれた牧場の情景が、「牧場の朝」の下敷きになったと考えられているのです。
息子が「父の作品ではない」と否定した
ところが、この定説には有力な異論があります。なんと楚人冠の息子である杉村武(たけし)が、生前くり返し「牧場の朝は父の作品ではない」と主張していたのです。
その根拠は、「かんかん」「りんりん」「ぴいぴい」といった擬音語(オノマトペ)の使い方にありました。硬質で知的な文章を得意とした楚人冠が、こうした素朴な擬音語を並べるだろうか、という違和感です。身近で作風を知る息子だからこその指摘だといえます。
先ほど触れたとおり、文部省唱歌は作者名を公表しない慣例でした。そのため作者を確定する決定的な証拠が残っておらず、「牧場の朝」の作詞者は今も完全には解明されていません。定説は杉村楚人冠、しかし本人の身内が異を唱えている。これが「牧場の朝」に残された最大の謎です。
作曲者・船橋栄吉と遺作となった「牧場の朝」
作詞者に謎が残る一方で、作曲者ははっきりしています。船橋栄吉(1889〜1932)、本名を船橋正二郎といい、バリトン歌手として活躍した声楽家であり、作曲家・音楽教育者でもありました。
船橋は東京音楽学校(現在の東京藝術大学)を卒業し、1925年(大正14年)には文部省の在外研究員としてドイツのベルリン音楽院へ留学しています。1927年(昭和2年)に帰国すると教授に就任し、声楽科の主任教授という要職を務めました。
ここで、少し切ない事実があります。「牧場の朝」が世に出た「新訂尋常小学唱歌(四)」の発行は1932年(昭和7年)12月。そして船橋栄吉が世を去ったのも、まさに同じ1932年12月22日、わずか43歳のときでした。つまり「牧場の朝」は、彼の生涯の最後期に生まれた遺作級の作品だったのです。
朝の光あふれる希望に満ちた旋律が、作曲者にとって最後の輝きの一つだったと思うと、この歌がいっそう心にしみてきます。

「牧場の朝」は今も歌い継がれている

発表から90年以上がたった今も、「牧場の朝」はさまざまな形で歌い継がれています。前述のとおり小学4年生の歌唱共通教材として全国の教室で歌われ続けているほか、1968年(昭和43年)にはNHK「みんなのうた」でアニメーションつきで放映され、多くの人に親しまれました。
モデルとなった鏡石町では、この歌が町のシンボルソングとして愛され、オランダとの縁にちなんだ「牧場の朝オランダ・秋祭り」といったイベントも開かれています。JRの一部の駅では、発車メロディや接近メロディに「牧場の朝」の旋律が使われ、訪れる人を出迎えています。
霧の海から朝日へ。100年以上前の牧場の情景が、歌となって今も私たちの朝を照らし続けているのです。
「牧場の朝」に関するよくある質問
最後に、「牧場の朝」についてよく寄せられる疑問をまとめました。
Q1. 「牧場の朝」のモデルはどこの牧場ですか?
福島県岩瀬郡鏡石町にある岩瀬牧場が定説です。北海道の牧場という説もありますが、鏡石町自身がこの歌を町のシンボルソングに定めており、岩瀬牧場がモデルとするのが一般的です。
Q2. 「かんかんと」鳴る鐘は実在しますか?
実在します。1907年(明治40年)にオランダから乳牛13頭とともに友好の証として贈られた青銅の鐘で、今も鏡石町の指定文化財として保存されています。
Q3. 作詞者は本当に杉村楚人冠ですか?
定説は杉村楚人冠ですが、確定していません。楚人冠の息子が「父の作品ではない」と否定しており、文部省唱歌は作者を公表しない慣例だったため、決定的な証拠が残っていないのです。
Q4. 「うっすりと」は歌詞の間違いではないですか?
間違いではありません。「うっすらと」の古い言い方で、原詞のとおりです。唱歌には、こうした古風な言い回しがそのまま残っているものが多くあります。
Q5. 「牧場の朝」は何年生で習いますか?
小学校4年生です。学習指導要領で第4学年の歌唱共通教材に定められているため、全国どの小学校でも学ぶことになっています。
まとめ:牧場の朝は、朝の光と物語がつまった名唱歌
「牧場の朝」は、夜明け前の霧から日の出までの時間を、鐘・鈴・笛という三つの音とともに描いた、みずみずしい文部省唱歌です。
モデルとなったのは、日本初の西洋式牧場である福島県鏡石町の岩瀬牧場。「かんかんと」鳴る鐘は、1907年にオランダから贈られ、今も文化財として残る本物の鐘でした。
作詞者は定説では杉村楚人冠ですが、息子が否定するなど謎が残ります。一方の作曲者・船橋栄吉にとって、この歌は43歳で世を去る直前の遺作級の作品でした。
何気なく口ずさんでいた一曲の背景に、これほど豊かな物語が広がっている。それを知ったうえでもう一度歌えば、朝の牧場の情景がきっと違って見えるはずです。

