黄金虫(童謡)の歌詞の意味とは?金持ちの正体はゴキブリ説の真相・野口雨情の由来まで徹底解説

「黄金虫(こがねむし)は金持ちだ」の歌い出しで知られる童謡「黄金虫」。誰もが一度は口ずさんだことのある、大正時代生まれの名曲です。

でも、あらためて考えると不思議な歌ですよね。なぜ虫が「金持ち」なのでしょうか。そもそも、ここでいう黄金虫とは、あの金緑色に光るコガネムシのことなのでしょうか。

実はこの歌の黄金虫の正体には、昔からいくつもの説があります。そして近年もっとも有力とされているのが、なんと「ゴキブリ」だという説なのです。

この記事では、童謡「黄金虫」の歌詞の意味を一番ずつやさしく解説しながら、「なぜ金持ちなのか」「黄金虫の正体は結局なんなのか」「水飴には何の意味があるのか」といった謎を、作詞した野口雨情の人物像とあわせて読み解いていきます。

子どものころ何気なく歌っていた黄金虫。正体がゴキブリかもしれないと聞くと、急に見え方が変わってきますよね。

黄金虫(童謡)の歌詞と作詞・作曲【野口雨情と中山晋平】

まずは童謡「黄金虫」の歌詞全文を確認しましょう。歌詞は二番まであり、とても短い歌です。

【一番】
黄金虫は 金持ちだ
金蔵(かねぐら)建てた 蔵建てた
飴屋で水飴 買ってきた

【二番】
黄金虫は 金持ちだ
金蔵建てた 蔵建てた
子供に水飴 なめさせた

作詞は野口雨情(のぐち うじょう)、作曲は中山晋平(なかやま しんぺい)です。「しゃぼん玉」「七つの子」「証城寺の狸囃子」「赤い靴」などを世に送り出した、大正から昭和を代表するゴールデンコンビの作品にあたります。

発表の時期には諸説がありますが、作詞者・野口雨情の故郷である茨城県北茨城市の野口雨情記念館は、児童雑誌『金の星』の大正15年(1926年)3月号を初出としています。1922年(大正11年)ごろの作とする資料もあり、正確な年ははっきりしませんが、いずれにせよ日本じゅうで童謡が花開いた大正の童謡運動のなかで生まれた一曲です。

黄金虫(童謡)の歌詞の意味を一番ずつ解説

金蔵を思わせる白壁の蔵と堀の風景

歌詞じたいはとてもシンプルですが、一語ずつ見ていくと、大正時代の暮らしぶりが見えてきます。一番・二番を順番に読み解きましょう。

一番「金蔵建てた蔵建てた 飴屋で水飴買ってきた」

一番は、黄金虫が大金持ちである様子を描いています。「金蔵(かねぐら)」とは、お金や大切な財産をしまっておく蔵のこと。それを「建てた、また建てた」と繰り返すことで、蔵がいくつも並ぶほどの大富豪であることを、子どもにもわかるリズムで伝えています。

そのうえで黄金虫は「飴屋で水飴を買ってきた」。当時の子どもにとって、飴屋で買う水飴はとびきりのごちそうでした。財産をため込むだけでなく、甘いものをぽんと買ってくるあたりに、けちけちしない金持ちの気前のよさがにじんでいます。

二番「子供に水飴なめさせた」

二番は一番とほとんど同じ繰り返しですが、最後の一行だけが変わります。買ってきた水飴を、黄金虫は自分でなめるのではなく「子供になめさせた」のです。

ここが、この歌のいちばん心あたたまる場面です。金持ちの黄金虫は、その豊かさを独り占めせず、子どもに甘い水飴を分け与えます。財産の多さそのものよりも、それを子どものために使う優しさが、さらりと歌い込まれているのです。

お金持ちが子どもに水飴をなめさせる。ただの自慢話ではなく、ちゃんと優しさで締めくくるところが雨情らしい童謡です。

黄金虫の正体は本当にコガネムシ?「金持ち」と結びつかない謎

金属光沢を放つ黄金色のコガネムシ

さて、ここで多くの人が引っかかるのが「そもそも黄金虫って、何の虫?」という疑問です。

素直に読めば、黄金虫はその名のとおり、金緑色や金銅色にきらめくコガネムシ科の甲虫のことでしょう。夏になると木や葉にとまっている、あの金属光沢の美しい虫です。黄金のように輝くから「黄金虫」。名前の由来としては、いちばん自然な解釈です。

ところが、ここで大きな謎が残ります。コガネムシは草木の葉や根を食べる虫で、園芸をする人にとってはむしろ厄介な害虫です。見た目が金色に光るとはいえ、それがどうして「金持ち」と結びつくのでしょうか。金色だから金持ち、というだけでは、蔵を建てたり水飴を買ったりする豊かさのイメージまでは説明しきれません。

この「金色に光る虫が、なぜ金持ちなのか」という素朴な疑問こそが、黄金虫の正体をめぐる長い議論の出発点になっています。

有力なのは「黄金虫=ゴキブリ」説【大正の金持ちの家と茨城の方言】

近年、テレビやインターネットでたびたび紹介され、いちばん有力とされているのが「歌の黄金虫はコガネムシではなく、ゴキブリのことだ」という説です。ぎょっとする話ですが、根拠を並べると意外に筋が通っています。

大正時代、ゴキブリは裕福な家にしかいなかった

いちばんの根拠が、当時のゴキブリの生態です。家の中でよく見かける小型のチャバネゴキブリは、もともと暖かい地方の出身で、寒さにとても弱い虫です。暖房のとぼしい昔の日本の家では、冬を越すことがなかなかできませんでした。

ところが、火鉢や囲炉裏をいくつも焚き、食べ物も豊富にある裕福な家だけは、冬でも暖かく、ゴキブリが一年じゅう暮らせる環境でした。つまり当時、家の中にゴキブリがいること自体が「この家は暖かくて食べ物が豊かな、お金持ちの家だ」という証だったのです。ゴキブリは、いわば富の象徴でした。

雨情の故郷・茨城では「こがねむし」がゴキブリを指した

もうひとつの根拠が、方言です。作詞した野口雨情の故郷である茨城県のあたりでは、ゴキブリのことを「こがねむし」や「かねむし」と呼ぶ習わしがあったと言われています。昭和のはじめごろまで、ゴキブリを「黄金虫」や「油虫(あぶらむし)」と呼んでいた地域は各地にありました。

雨情がふるさとの言葉のまま「こがねむし」と書いたのだとすれば、歌の虫がゴキブリを指していても不思議はありません。「金持ちの家にいる、こがねむし(ゴキブリ)」という発想が、この歌の下敷きにあったと考えられるのです。

「御器かぶり」の語源と、卵のさやが財布に似ている話

ゴキブリという名前じたい、もとは「御器かぶり(ごきかぶり)」、つまり食器(御器)にたかって食べ物をかじる虫、という意味からきています。食べ物のある家に集まる虫、というイメージは古くからあったわけです。

さらに、ゴキブリが産む卵のさや(卵鞘)が、小銭を入れる「がま口」の財布に形が似ているため、お金を連想させたのだ、という説を挙げる人もいます。真偽はさておき、こうした連想がいくつも重なって「ゴキブリ=金持ちの虫」というイメージができあがっていったようです。

豆知識
チャバネゴキブリのように「寒さに弱く、暖かい家にしか住めない」生き物が富の象徴になるのは、暖房と食料が今よりずっと貴重だった時代ならではの発想です。生き物の意味は、時代によって大きく変わるのですね。

黄金虫はタマムシ?コガネムシ?正体をめぐる諸説

金緑色に赤い筋が輝くヤマトタマムシ

ゴキブリ説はよく知られていますが、黄金虫の正体には、ほかにもいくつかの見方があります。断定はせず、代表的な説を並べておきましょう。

タマムシ説。雨情の故郷の近辺では、金緑色に輝くタマムシ(玉虫)を「こがねむし」と呼んだ、という説もあります。タマムシは、その美しい羽が古くから装飾に使われ、法隆寺の玉虫厨子にも用いられた、まさに宝物のような虫です。羽をたんすに入れておくと着物(財産)が増える、という言い伝えもあり、富や幸運のイメージとよく結びつきます。金持ちの虫にふさわしい候補です。

そのままコガネムシ説。難しく考えず、やはり金色に光るコガネムシそのものだ、という素直な見方も根強くあります。黄金のように輝く姿から金持ちを空想した、子ども向けのたわいない言葉遊びだ、というわけです。

大切なのは、作詞した野口雨情自身が「黄金虫とはこの虫だ」と正体を明かした記録が残っていないことです。だからこそコガネムシ説、ゴキブリ説、タマムシ説が今も並び立ち、聞く人それぞれが想像をふくらませる余地が残されているのです。

正体がひとつに決まっていないからこそ、大人になってから「あれはどの虫だったんだろう」と考える楽しみがあります。

「水飴」が象徴する大正時代の子どもと豊かさ

正体の議論からいったん離れて、歌のもうひとつのキーワード「水飴」にも目を向けてみましょう。

水飴は、米や麦などのでんぷんを糖に変えて作る、とろりとした昔ながらの甘味です。砂糖がまだ高価だった大正のころ、飴屋や駄菓子屋で売られる水飴は、子どもにとって手が届くなかでいちばんのごちそうでした。割り箸にくるくると巻きつけて練り、白っぽくなるまで遊びながらなめる。そんな情景が、当時の子どもの何よりの楽しみだったのです。

だからこそ、黄金虫が「子供に水飴をなめさせた」という一行には、金蔵をいくつも建てるような大きな富よりも、子どもの笑顔に直結する身近な幸せが描かれています。野口雨情は、難しい理屈ではなく、子どもがいちばん喜ぶものを通して「豊かさとは何か」をそっと歌にしたのだと言えるでしょう。

MEMO
雨情の童謡には、しゃぼん玉や赤い靴のように、子どもの目線とはかない優しさが息づく作品が多くあります。黄金虫の「水飴をなめさせる」場面も、その系譜にある一コマです。

作詞・野口雨情はどんな人物?中山晋平との名コンビ

最後に、この歌を生んだ二人の作り手を紹介します。

作詞の野口雨情は、1882年(明治15年)に茨城県磯原(現在の北茨城市)で生まれた詩人です。北原白秋、西條八十とともに「大正三大童謡詩人」と呼ばれ、素朴であたたかい言葉で数多くの童謡を残しました。ふるさとの海や暮らしを見つめるまなざしが、作品のあちこちに息づいています。

作曲の中山晋平は、1887年(明治20年)に長野県で生まれた作曲家です。口ずさみやすく親しみのある旋律は「晋平節」と呼ばれ、童謡から流行歌、民謡調の歌まで幅広く手がけました。

この二人が組んだ童謡には、黄金虫のほかにも珠玉の名曲がそろっています。とくに、亡くなった娘を思ったという説で知られる「しゃぼん玉」は、あわせて読むといっそう味わい深い一曲です。

雨情と晋平の代表作は、以下の記事でも詳しく解説しています。

雨情と晋平のコンビは、聞けば「あ、この曲も!」と驚く名曲ぞろい。黄金虫もそのひとつです。

黄金虫(童謡)についてよくある質問【Q&A】

最後に、童謡「黄金虫」について検索されることの多い疑問をまとめておきます。

Q. 黄金虫の正体は結局なんですか?

ひとつに確定はしていません。金色に光るコガネムシとする説、大正時代に富の象徴だったゴキブリとする説、美しいタマムシとする説などがあります。作詞した野口雨情が正体を明言していないため、諸説が並び立っているのが実情です。

Q. なぜ黄金虫は金持ちなのですか?

ゴキブリ説では、暖かく食べ物の豊富な裕福な家にしかゴキブリがいなかったため、富の象徴とされたと説明されます。コガネムシ説やタマムシ説では、金色や金緑色に輝く見た目そのものを、金持ちに見立てたと考えられています。

Q. なぜ水飴を子どもになめさせるのですか?

水飴は、砂糖が貴重だった当時の子どもにとって最高のごちそうでした。金持ちの黄金虫が、そのごちそうを独り占めせず子どもに分け与える。豊かさを優しさとして描いた場面だと考えられます。

Q. 黄金虫はいつ作られた歌ですか?

大正時代の作品です。野口雨情記念館は児童雑誌『金の星』の大正15年(1926年)3月号を初出としています。1922年ごろの作とする資料もあり、正確な年には諸説があります。

まとめ|黄金虫(童謡)は正体の謎が楽しい一曲

童謡「黄金虫」は、金蔵を建てるほどの金持ちが子どもに水飴をなめさせる、という短くほほえましい歌です。

その裏には、金色に輝くコガネムシ、大正時代に富の象徴だったゴキブリ、宝物のように美しいタマムシと、正体をめぐるいくつもの説が隠れています。

作詞した野口雨情が答えを明かさなかったからこそ、私たちはいまも自由に想像を広げることができます。次にこの歌を口ずさむときは、あなたなりの「黄金虫」を思い浮かべてみてください。

短い歌ほど、奥が深いものですね。黄金虫の正体、あなたはどの説を推しますか。