蹴鞠のルールと掛け声の意味とは?やり方・サッカーの起源説・歴史まで徹底解説

平安貴族が雅な装束に身を包み、鹿革の鞠を地面に落とさないよう蹴り続ける。蹴鞠(けまり)は、約1400年もの間つむがれてきた日本の伝統的な球技です。

勝ち負けを競わず、相手が蹴りやすい鞠を送ることをよしとする。その独特の精神性や、「アリ」「ヤア」「オウ」という不思議な掛け声、さらには「サッカーの起源」とも言われる中国との深い縁まで、蹴鞠には知れば知るほど面白い世界が広がっています。

じつは大化の改新のきっかけも蹴鞠だったとされているんです。今回はそんな蹴鞠の魅力を、ルールから歴史までまるごと解説していきます。

この記事では、蹴鞠のルールや人数・道具、独特の掛け声の意味、サッカーの起源との関係、平安時代から続く歴史、そして今も蹴鞠を見られる神社まで、徹底的にまとめました。

蹴鞠(けまり)とは?平安貴族が愛した雅な球技

装束をまとって蹴鞠を行う様子(談山神社のけまり祭)

蹴鞠とは、約1400年前に中国から日本に伝えられたとされる球戯の一種です。鹿革で作られた鞠を一定の高さで蹴り続け、いかに長く続けられるかを楽しむ遊びです。

最大の特徴は、勝敗を争わないという点にあります。サッカーやバレーボールのように相手と得点を競うのではなく、参加者全員で協力して鞠を落とさないようにします。「いかに相手が蹴りやすい鞠を送るか」という思いやりの心が、蹴鞠の根底に流れる精神です。

通常は8人(または6人)が輪になって立ち、鞠を蹴り上げて隣の人へとつないでいきます。上手な人ばかりが目立つのではなく、全員の呼吸が合ってこそ美しい蹴鞠になる。そんな調和を大切にする日本らしい球技なのです。

MEMO
蹴鞠は単なる遊びではなく、平安時代以降は「鞠道(きくどう)」とも呼ばれる芸道として発展しました。和歌や香道と並ぶ、貴族のたしなみの一つだったのです。

蹴鞠のルールと人数・鞠・装束

蹴鞠には得点や勝敗のルールはありませんが、使う道具や場のしつらえには細かな決まりがあります。ここでは蹴鞠を構成する要素を一つずつ見ていきましょう。

人数と基本のルール

蹴鞠は8人で行うのが正式とされ、略式では6人や4人でも行われます。参加者は「鞠足(まりあし)」と呼ばれ、輪になって鞠を蹴りつなぎます。

基本のルールは「鞠を地面に落とさないこと」、ただそれだけです。一人が同じ鞠を蹴ってよいのは原則3回までとされ、3回のうちに体勢を整えて、次の人が受け取りやすい鞠を蹴り上げるのが理想です。自分の技を見せびらかすのではなく、全体の流れを途切れさせないことが何より重視されます。

鞠の大きさと材質

蹴鞠で使う鞠は、鹿革2枚を縫い合わせて作られます。直径はおよそ19〜20センチメートル、重さは100〜120グラムほどで、サッカーボールより一回り小さいサイズです。

中は空洞で、大麦などを詰めて形を整えたのち抜き取るという手の込んだ作り方をします。革を縫い合わせた継ぎ目の重なった部分は「腰革(こしかわ)」や「くくり」と呼ばれ、ここを蹴ると鞠が不規則に飛ぶため、職人の技術が問われる繊細な道具です。

意外と軽い
100グラム前後というと、ちょうど卵2個分ほどの重さです。固いボールではなく、ふわりと宙に浮くような軽い鞠を、低く美しく蹴り続けるのが蹴鞠の難しさであり面白さでもあります。

装束(衣装)

蹴鞠を行うときは、専用の装束を身に着けます。頭には立烏帽子(たてえぼし)、上半身には鞠水干(まりすいかん)、下半身には鞠袴(まりばかま)、足元には鴨沓(かもぐつ)と呼ばれる革靴をはきます。

装束の色や文様、烏帽子の種類は身分や階級によって細かく定められていました。鮮やかな色合いの装束が芝生の上で舞うように動く様子は、まさに平安絵巻のような美しさです。

懸かり(鞠庭)という競技場

蹴鞠を行う場所は「懸かり(かかり)」または「鞠庭(まりにわ)」と呼ばれます。広さはおよそ14メートル四方(本式では7間半四方)で、地面には砂が敷かれます。

特徴的なのが、四隅に植えられた4種類の樹木です。東北に桜、東南に柳、西南に楓(かえで)、西北に松を配し、これらを「式木(しきぼく)」と呼びます。鞠が木の枝に当たって落ちてくるのを利用したり、立ち位置の目印にしたりと、自然を取り込んだ風流な作りになっているのです。

美しく蹴る作法とやり方のコツ

蹴鞠の蹴り方は、サッカーとはまったく異なります。ボールを遠くへ強く飛ばすのではなく、自分の頭上に低くふわりと上げるのが基本です。

蹴るのは右足のみで、親指の付け根あたりに鞠を当てます。膝を伸ばしたまま、地面に近い低い位置で鞠をとらえ、足の裏を見せないように蹴り上げるのが正しい作法です。サッカーのように足を大きく振り上げることはありません。

さらに、蹴っている間も上半身は動かさず、穏やかな表情と姿勢を保つことが求められます。足の運びは摺足(すりあし)で、右・左・右という三拍子のリズムに合わせて動きます。技術の高さだけでなく、所作の「うるわしさ(美しさ)」が評価されるのが、芸道としての蹴鞠ならではの奥深さです。

強く蹴ればいいわけじゃないんですね。優雅に、美しく、しかも落とさない。これはかなり高度な身体コントロールが必要そうです。

蹴鞠の掛け声「アリ」「ヤア」「オウ」の意味とは

蹴鞠の動画を見ると、鞠を蹴るたびに「アリ」「ヤア」「オウ」という独特の掛け声が聞こえてきます。これは単なる気合いの声ではなく、ちゃんとした意味があります。

表向きは、鞠を受け渡すタイミングを知らせる合図の役割です。「これからそちらへ送りますよ」という意思表示として、蹴る瞬間に声を出すのです。

そして、もう一つの深い意味があります。じつはこの3つの掛け声は、それぞれ「鞠の精(まりのせい)」の名前に由来すると言われているのです。

アリ … 夏安林(げあんりん)

ヤア … 春楊花(しゅんようか)

オウ … 秋園(しゅうおん)

これらは蹴鞠の名人・藤原成通(ふじわらのなりみち)が、千日にわたる修行を成し遂げた夜、夢の中に現れた猿の姿をした3体の精霊の名前だと伝えられています。鞠の精の名を呼びながら、その加護を願って蹴る。だから掛け声は「鞠を乞(こ)う」とも言われ、鞠が続くことへの祈りでもあったのです。

ただの掛け声に、鞠の神様への祈りが込められていたなんて驚きですよね。平安の人々のロマンチックな発想が垣間見えます。

サッカーの起源は蹴鞠?中国伝来と八咫烏のつながり

中国の蹴鞠(cuju)を描いた古い絵画

蹴鞠は「サッカーの起源」として語られることがあります。これは正確には、日本の蹴鞠ではなく、その源流である中国の蹴鞠(しゅくきく/cuju)を指しています。

中国の蹴鞠は、紀元前300年以上前の戦国時代、斉(せい)の国で兵士の体力づくりや軍事訓練として始まったとされます。やがて漢の時代には、12人ずつのチームが小さなゴールに鞠を蹴り入れる、現代のサッカーによく似た競技へと発展しました。

2004年、国際サッカー連盟(FIFA)は、この蹴鞠が盛んだった中国・山東省の臨淄(りんし)を「サッカー発祥の地」と認定しました。FIFAのシャンパーニュ事務局長も「蹴鞠がサッカーの起源だ」と発言しています。ただし、サッカーの起源には諸説あり、現代サッカーのルールが整えられたのは19世紀のイングランドであるという点は押さえておきたいところです。

面白いことに、日本サッカー協会(JFA)のシンボルマークである三本足のカラス「八咫烏(やたがらす)」も、蹴鞠と縁があります。八咫烏は、蹴鞠で有名な京都・下鴨神社の祭神である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の化身とされているのです。古代中国から伝わった蹴鞠と、現代のサッカーが、はるかな時を超えてつながっているように感じられます。

世界には、蹴鞠のように足や体を使う独特の球技が各地に伝わっています。たとえば東南アジアのセパタクローも、その一つです。

蹴鞠の歴史|中国伝来から平安の流行・明治の復興まで

年中行事絵巻に描かれた平安時代の蹴鞠の様子

蹴鞠は長い歴史の中で、伝来・流行・衰退・復興を繰り返してきました。その歩みをたどってみましょう。

中国での起源

蹴鞠の最も古いルーツは、約4000年前の中国・殷(いん)の時代にさかのぼるとも言われ、当時は雨乞いの儀式と結びついていたとされます。その後、戦国時代の斉では軍事訓練として、漢代にはゴールを使う競技として発展しました。

日本への伝来と飛鳥・奈良時代

日本には、飛鳥時代の末から奈良時代の初めごろ、およそ1400年前に伝わったとされています。有名なのが、644年(皇極天皇3年)に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、のちの天智天皇)が法興寺(飛鳥寺)で蹴鞠の会に加わったというエピソードです。

このとき中大兄皇子の沓(くつ)が脱げ落ち、それを拾って差し出したのが中臣鎌足(なかとみのかまたり)でした。これをきっかけに二人は親しくなり、やがて大化の改新へとつながっていったと伝えられています。一つの遊びが歴史を動かす出会いを生んだというわけです。

平安時代の大流行

平安時代に入ると、蹴鞠は宮中で大流行します。とくに10世紀の延喜年間以降に記録が急増し、後白河天皇のように天皇自ら鞠場に立つこともありました。清少納言も『枕草子』の中で、蹴鞠を「上品ではないけれど面白いもの」として書き留めています。

家元の成立と武家・庶民への広がり

鎌倉時代になると、後鳥羽院の院宣によって飛鳥井家(あすかいけ)と難波家(なんばけ)が蹴鞠の家元として公認されました。源頼朝の求めに応じて飛鳥井雅経が鎌倉へ下ったことで、蹴鞠は武家社会にも広まります。室町時代には足利義満・義政らが愛好し、蹴鞠は芸道として完成の域に達しました。

しかし、織田信長が相撲を奨励したことなどから次第に人気は下降。江戸時代には、庶民が蹴鞠に興じることが厳しく制限された時期もありました。

明治の衰退と蹴鞠保存会による復興

明治維新後、蹴鞠は一時途絶えかけます。これを惜しんだ明治天皇のご下賜金によって、1907年(明治40年)に「蹴鞠保存会」が結成され、初代会長には梅渓道善(うめたにどうぜん)が就きました。この保存会の活動によって、蹴鞠は現代まで途切れることなく受け継がれているのです。

蹴鞠の名人・藤原成通の伝説「蹴聖」

蹴鞠の歴史を語るうえで欠かせないのが、平安時代後期の名人・藤原成通(1097〜1162年)です。あまりの上手さから「蹴聖(しゅうせい)」と称えられ、のちの世まで蹴鞠の手本とされました。

彼の伝説的なエピソードは数多く残されています。たとえば清水寺に参籠したとき、本堂の舞台の高欄(手すり)の上を、鴨沓をはいたまま鞠を蹴りながら西から東へ、さらに東から西へと渡ってみせたといいます。見ていた人々は肝を冷やし、父親はあまりの危なさに1か月の謹慎を命じたほどでした。

また、従者10人ほどを並べて座らせ、その肩の上を走りながら鞠を蹴り続けたという話も伝わります。肩を踏まれた従者は「笠が頭に乗っている程度にしか感じなかった」と語ったとか。『古今著聞集』には、成通が連続300回も鞠を蹴り続けた記録も残っています。

蹴鞠の上達を願った成通は、熊野詣を50回以上も行い、得意技「うしろ鞠」を神前に奉納したとも言われます。そして冒頭で触れた、千日の修行を満願した夜に鞠の精霊が現れたという逸話も、この成通のものなのです。

蹴聖・藤原成通の主な伝説

・清水寺の舞台の高欄の上を、鞠を蹴りながら往復した

・並んだ従者10人の肩の上を走りつつ鞠を披露した

・連続300回の蹴鞠を成し遂げた(『古今著聞集』)

・蹴鞠上達を願い熊野詣を50回以上行った

平安時代のスーパースターですね。手すりの上でリフティングしながら歩くなんて、現代のフリースタイルフットボールの達人もびっくりの技術です。

今も蹴鞠が見られる神社と行事

蹴鞠は過去の遊びではなく、今も各地の神社で奉納行事として続けられています。装束をまとった鞠足たちの優雅な蹴鞠は、一見の価値があります。代表的な行事を紹介します。

もっとも有名なのが、京都・下鴨神社(賀茂御祖神社)の「蹴鞠初め」です。毎年1月4日に行われ、新春の京都を彩る風物詩として多くの参拝客でにぎわいます。

このほか、奈良・談山神社(たんざんじんじゃ)の「けまり祭」(春と秋)、京都・白峯神宮(しらみねじんぐう)の例大祭なども有名です。白峯神宮はスポーツの守護神として知られ、サッカー関係者の参拝も多い神社です。さらに京都・上賀茂神社、藤森神社、平野神社、香川・金刀比羅宮、大阪・水無瀬神宮などでも蹴鞠を見ることができます。水無瀬神宮では一般向けの体験会も行われています。

実際に蹴鞠が行われる日程や場所の詳細は、各神社の公式情報を確認するのが確実です。蹴鞠の歴史や作法については、宮内庁の解説ページも参考になります。

知って楽しい豆知識クイズ5問

ここまで読んだ知識を使って、蹴鞠の豆知識クイズに挑戦してみましょう。答えはそれぞれの下に隠れています。

第1問:蹴鞠で鞠を蹴ってよいのは、原則として何回まででしょう?

答え:3回まで。3回のうちに体勢を整え、次の人が受け取りやすい鞠を蹴り上げるのが理想とされます。

第2問:蹴鞠の掛け声「アリ」「ヤア」「オウ」は、何の名前に由来するでしょう?

答え:鞠の精(夏安林・春楊花・秋園)の名前。藤原成通の夢に現れた3体の精霊だと伝えられています。

第3問:蹴鞠の懸かり(鞠庭)の四隅には、4種類の木が植えられます。桜・柳・松ともう一つは何でしょう?

答え:楓(かえで)。東北に桜、東南に柳、西南に楓、西北に松を植え、これらを「式木」と呼びます。

第4問:FIFAが2004年に「サッカー発祥の地」と認定した、中国の蹴鞠が盛んだった都市はどこでしょう?

答え:臨淄(りんし)。古代中国・斉の都で、軍事訓練としての蹴鞠が行われていました。

第5問:蹴鞠の名人として「蹴聖」と呼ばれた平安時代の人物は誰でしょう?

答え:藤原成通。連続300回の蹴鞠や、清水寺の高欄を渡った伝説で知られます。

蹴鞠のよくある質問(FAQ)

Q. 蹴鞠とサッカーの違いは何ですか?

A. 最大の違いは「勝敗を競うかどうか」です。サッカーは相手と得点を競う競技ですが、蹴鞠は勝ち負けがなく、全員で協力して鞠を落とさないようにする遊びです。蹴り方も、サッカーが足を大きく振るのに対し、蹴鞠は右足の親指の付け根で低く優雅に蹴り上げます。

Q. 蹴鞠は今でも体験できますか?

A. はい、体験できます。大阪の水無瀬神宮など、一般向けの体験会や稽古会を開いている神社があります。装束を着て本格的に楽しめる機会もあるので、興味のある方は各神社の情報を調べてみてください。

Q. 蹴鞠は何人で行うのですか?

A. 正式には8人で行います。略式では6人や4人でも行われます。人数が増えるほど鞠をつなぐのが難しくなり、全員の呼吸を合わせる調和が大切になります。

Q. 「けまり」と「しゅうきく」は同じものですか?

A. 同じ漢字「蹴鞠」を、日本語読みで「けまり」、音読みで「しゅうきく(しゅくきく)」と読みます。一般に「けまり」と言えば日本の伝統球技を、「蹴鞠(cuju)」と言えばその源流である中国の競技を指すことが多いです。

Q. 鞠は何でできていますか?

A. 鹿の革2枚を縫い合わせて作られます。直径は約19〜20センチ、重さは100〜120グラムほどで、サッカーボールより一回り小さく、とても軽いのが特徴です。

まとめ|千年以上続く雅なスポーツ文化

蹴鞠は、約1400年前に中国から伝わり、平安貴族の雅な遊びとして花開いた日本の伝統球技です。勝ち負けを競わず、相手を思いやって鞠をつなぐその精神は、現代のスポーツとはまた違った美しさを持っています。

「アリ」「ヤア」「オウ」という掛け声に込められた鞠の精への祈り。サッカーの起源とされる中国の蹴鞠とのつながり。そして大化の改新のきっかけにもなったという逸話。蹴鞠には、知れば知るほど奥深い歴史とロマンが詰まっています。

お正月に下鴨神社の蹴鞠初めを訪れたり、神社の体験会に参加したりすれば、千年以上前の貴族が見ていた雅な世界を、あなた自身の目で味わうことができます。ぜひ一度、本物の蹴鞠にふれてみてください。

遊び一つにこれだけの歴史と精神が宿っているのが、日本文化の面白いところですね。次に神社で蹴鞠を見かけたら、ぜひ掛け声に耳をすませてみてください。