「蛍の光、窓の雪」で始まるあの歌を、一度も聞いたことがないという人はほとんどいないでしょう。卒業式のクライマックスで、閉店間際のスーパーで、大晦日のカウントダウンで、私たちは知らないうちに何度もこのメロディーに包まれてきました。
ところが、これほど身近な「蛍の光」について、正しく知られていないことがたくさんあります。歌詞が実は4番まであること、いま閉店で流れているのは別の曲かもしれないこと、そもそも原曲は日本の歌ですらないこと。どれも、言われてみれば「え、そうなの」と驚く話ばかりです。

この記事では、蛍の光の歌詞の意味を1番から幻の4番まで現代語訳でていねいに読み解き、原曲であるスコットランド民謡、閉店で流れる「別れのワルツ」との違い、題名にこめられた中国の故事まで、まとめて解説します。
目次
蛍の光とは?歌詞の意味・原曲・作者をまとめて解説

まず全体像を先につかんでおきましょう。「蛍の光」は、1881年(明治14年)に発行された日本で最初の音楽教科書『小学唱歌集初編』に収められた唱歌です。作詞は国学者の稲垣千穎(いながき ちかい)、メロディーはスコットランドの民謡「オールド・ラング・サイン」を借りたものでした。つまり、詞は日本生まれ、曲は外国生まれという組み合わせなのです。
これから読み進めるための地図として、ポイントを先に3つだけ挙げておきます。
- 歌詞は本来4番まであり、いま歌われる1番・2番は「別れ」を、封印された3番・4番は「国を守る決意」を歌っている
- 原曲はスコットランドの民謡で、英語圏では別れではなく「新年」を祝う歌として親しまれている
- お店の閉店時に流れる曲は、多くの場合「蛍の光」ではなく、そっくりな別の曲「別れのワルツ」である
それぞれの「なるほど」を、これから順番にほどいていきます。
作曲:スコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」
発表:1881年(明治14年)『小学唱歌集初編』
当初の題名:「螢(ほたる)」
拍子:4拍子
歌詞(1番・2番)の意味を現代語訳で読み解く
いま一般に歌われるのは1番と2番です。文語(古い言い回し)なので、初めて歌詞を目で追うと意味が取りにくい部分があります。1行ずつ現代語に置き換えてみましょう。
書(ふみ)読む月日 重ねつつ
いつしか年も すぎの戸を
明けてぞ今朝は 別れゆく
意味はこうです。蛍の光や、窓辺に積もった雪の明かりを頼りに、本を読む日々を重ねてきた。そうしているうちに何年も過ぎ、気づけば今朝、杉の板戸を開けて旅立っていく。学び舎で過ごした年月を惜しみ、卒業の朝に仲間と別れる場面を歌っています。
「すぎの戸」は「杉の戸」と「過ぎ(時が過ぎ去る)」を重ねた言葉で、古い和歌の技法である掛詞(かけことば)が使われています。冒頭の「蛍の光、窓の雪」も、あとで説明する中国の故事をふまえた表現です。
互(かたみ)に思ふ 千万(ちよろず)の
心の端(はし)を 一言(ひとこと)に
幸(さき)くとばかり 歌ふなり
この学校に留まる人も、旅立って行く人も、今日でお別れです。互いに相手を思う数え切れないほどの気持ちを、たった一言に込めて、「どうかお元気で」とだけ歌うのです。「幸く(さきく)」は「無事で、幸せに」という意味の古い言葉になります。
1番が「思い出を振り返る歌」なら、2番は「相手の幸せを祈る歌」です。ここまでが、卒業式でおなじみの内容になります。

蛍の光に隠された幻の3番・4番の歌詞とは
ここからが、多くの人が知らない領域です。「蛍の光」には、実は3番と4番が存在します。戦後ほとんど歌われなくなったため、「幻の歌詞」とも呼ばれています。
海山遠く 隔(へだ)つとも
その真心(まごころ)は 隔てなく
一つに尽くせ 国のため
九州の果てであろうと、東北の奥地であろうと、海や山にどれほど遠く隔てられていても、真心が隔てられることはない。心をひとつにして国のために力を尽くそう、という意味です。「筑紫」は九州、「陸の奥」は陸奥(みちのおく)、つまり東北地方を指します。
八洲(やしま)の内の 護(まも)りなり
至らん国に 勲(いさお)しく
努めよ我が兄(せ) 恙(つつが)なく
北の千島列島の奥も、南の沖縄も、みな日本(八洲)の護りである。まだ手の行き届かない地でも手柄を立てられるよう、無事に努めなさい、我が同胞よ、という意味です。「八洲(やしま)」は日本の国土そのものを表す古い言葉、「我が兄(せ)」は「同胞・仲間」を指します。
1番・2番の「別れ」の情感とは、明らかにトーンが違います。3番・4番は、当時の日本の国境を歌い込み、国を守る決意を若者に呼びかける内容になっているのです。
なぜ3番・4番は戦後に歌われなくなったのか
3番・4番が姿を消した理由は、その内容にあります。「国のために力を尽くせ」「国境を守れ」という歌詞が、戦時中の国家主義を連想させるとして、戦後の教育現場では敬遠されるようになりました。今の私たちが1番・2番しか知らないのは、そのためです。
興味深いのは、4番の歌詞が時代とともに書き換えられてきたことです。1881年の初版では「千島の奥も沖縄も」でしたが、日清戦争や日露戦争を経て日本の領土が広がると、その版図に合わせて地名の部分が改作されていきました。歌が、国の形を映す鏡になっていたわけです。
3番にも、発表前のエピソードが残っています。原案の段階では、遠く離れても変わらぬ心が通い合う、という男女の恋にも読める表現でした。ところが教科書にふさわしくないと判断され、いまの「真心は隔てなく国のため」という形に改められたと伝えられています。
原曲はスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」

「蛍の光」のメロディーは、日本で作られたものではありません。原曲は、スコットランドに古くから伝わる民謡「オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)」です。
歌詞をまとめたのは、スコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズ。1788年、古くから口伝えされてきた歌をもとに詞を書き上げました。「オールド・ラング・サイン」はスコットランド語で「久しき昔」「古き良き日々」といった意味で、久しぶりに再会した旧友と杯を交わし、過ぎ去った日々を懐かしむ内容です。
面白いことに、バーンズ自身は、いま歌われているメロディーを当初「平凡だ」と感じていたと言われています。その後、音楽出版業者のジョージ・トムソンが別の旋律を組み合わせて微調整し、それが現在のかたちとして定着しました。私たちが卒業式で歌う旋律は、200年以上前のスコットランドで磨かれたものなのです。
この「オールド・ラング・サイン」は、蛍の光と同じ『小学唱歌集初編』で日本に紹介されました。同じ教科書には、フランスの思想家ルソーが作った曲をもとにした「むすんでひらいて」も収められています。明治の子どもたちは、海を越えてきたメロディーで音楽を学び始めたわけです。
「むすんでひらいて」の数奇な由来は、以下の記事でくわしく紹介しています。
英語圏では新年の歌?海外との歌われ方の違い
日本では「蛍の光」は、圧倒的に「別れの歌」です。ところが、原曲「オールド・ラング・サイン」が生まれたスコットランドや英語圏では、この曲はまったく別のタイミングで歌われます。新年、つまり大晦日から元日にかけての年越しの歌なのです。
スコットランドには「ホグマネイ」と呼ばれる年越しのお祭りがあり、その締めくくりに人々が手をつないで「オールド・ラング・サイン」を合唱します。アメリカやイギリスでも、年が明ける瞬間にこの曲を歌うのが定番になっています。「古き良き日々を思い出しながら、新しい年を迎える」という、お祝いの歌なのです。
同じメロディーが、日本では「さようなら」、英語圏では「あけましておめでとう」。国が違えば、これほど印象が変わるのかと驚かされます。

閉店で流れるのは蛍の光ではない?「別れのワルツ」との違い
スーパーやデパートで、閉店の時間が近づくと流れてくるあのメロディー。多くの人が「蛍の光が鳴った、そろそろ帰ろう」と感じていると思います。ところが、あそこで流れているのは、正確には「蛍の光」ではないことが多いのです。
その曲の名前は「別れのワルツ」。作曲家の古関裕而(こせき ゆうじ)が編曲したもので、1949年に日本公開されたアメリカ映画『哀愁』の中で、主人公たちが踊るシーンのために「オールド・ラング・サイン」をアレンジした曲です。つまり、蛍の光と別れのワルツは、同じ原曲から生まれた兄弟のような関係にあります。
では、どこが違うのでしょうか。いちばんの違いは拍子です。
- 蛍の光は4拍子。「1・2・3・4」と数えられる、しっかりと進んでいくリズムです
- 別れのワルツは3拍子。「1・2・3、1・2・3」と揺れる、ワルツ特有の優雅なリズムです
閉店のBGMを聞きながら、心の中で「1・2・3・4」と数えてみてください。うまく4つで区切れず、3つで回っていくようなら、それは蛍の光ではなく別れのワルツです。次にお店で試すと、ちょっとした通になった気分が味わえます。

「蛍の光」の題名の由来は中国の故事「蛍雪の功」

そもそも、なぜ「蛍の光、窓の雪」という歌い出しなのでしょうか。ここには、中国から伝わった「蛍雪の功(けいせつのこう)」という故事が下敷きになっています。
昔の中国に、貧しくて灯り用の油を買えない若者が2人いました。一人は車胤(しゃいん)という人物で、夏の夜、袋に集めた蛍の光を頼りに本を読みました。もう一人は孫康(そんこう)といい、冬の夜、窓の外に積もった雪に反射する月明かりで書物を読んだと伝えられています。
2人はやがて立派な役人に出世しました。この逸話から、苦しい環境でも努力して学ぶことを「蛍雪の功」と呼ぶようになりました。学業を修めることを意味する「蛍雪の功なる」という言い方も、ここから来ています。
「蛍の光」の1番は、この故事をそのまま歌の冒頭に据えたものです。だからこそ、勉学に励んだ学生生活を振り返り、卒業を祝う歌としてぴったりだったのです。当初の題名が単に「螢(ほたる)」だったのも、うなずけます。
蛍の光を作詞した稲垣千穎と、ふるさと福島県棚倉町
この名曲の日本語詞を書いたのは、稲垣千穎(1845〜1913)という国学者です。名前を知る人は多くありませんが、日本人なら誰もが口ずさめる歌を残した人物です。
稲垣は奥州棚倉(現在の福島県東白川郡棚倉町)の生まれで、中級武士の家の出でした。明治になって、文部省が音楽教育のために設けた「音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)」に作詞担当として加わり、「蛍の光」をはじめ多くの唱歌の詞を手がけました。国歌「君が代」の歌詞の補作にも関わったと伝えられ、東京師範学校の教員も約10年務めた教育者でもありました。
ふるさとの棚倉町は、いまも稲垣を「唱歌『蛍の光』のふるさとの人」として大切にしています。誰もが歌う国民的な歌の作者が、実は一つの町で生まれ育った一人の人間だったと知ると、あの旋律が少し違って聞こえてきます。
卒業式・甲子園・紅白歌合戦で歌われる理由
「蛍の光」は、いまも人生の節目や一年の節目で歌われ続けています。代表的な場面を挙げてみましょう。
- 卒業式:学び舎を巣立つ別れの歌として、明治以来の定番です。歌詞そのものが卒業を歌っているので、これ以上ふさわしい曲はありません
- 全国高校野球選手権大会:夏の甲子園の閉会式で合唱され、大会の終わりを告げます
- NHK紅白歌合戦:1953年(第4回)以降、番組のフィナーレで出演者全員が合唱するのが恒例になっています
- お店の閉店やイベントの終了:一日の終わり、その場のお開きを知らせる合図として流れます
もともと「別れ」を歌った曲であることに加えて、かつて旧日本海軍の学校で卒業や離任のときに歌われたことも、区切りの場面に定着した背景だと言われています。別れ、旅立ち、締めくくり。人が一区切りをつけたいとき、この静かな旋律がそっと寄り添ってくれるのです。
蛍の光の歌詞についてよくある質問
最後に、「蛍の光」についてよく寄せられる疑問をまとめておきます。
Q. 蛍の光は何番まであるのですか?
本来は4番まであります。いま一般に歌われるのは1番・2番で、国を守る決意を歌った3番・4番は戦後ほとんど歌われなくなり、「幻の歌詞」と呼ばれています。
Q. 蛍の光と仰げば尊しはどう違うのですか?
どちらも卒業式の定番ですが、別の曲です。「蛍の光」の原曲はスコットランド民謡、「仰げば尊し」は恩師への感謝を歌った別の唱歌です。かつては両方を続けて歌う卒業式も多くありました。
Q. 閉店のときに流れるのは本当に蛍の光ではないのですか?
多くの場合、流れているのは「別れのワルツ」という3拍子の別アレンジです。原曲は同じ「オールド・ラング・サイン」なのでそっくりですが、蛍の光は4拍子、別れのワルツは3拍子という違いがあります。
Q. 蛍の光の歌詞をそのまま紹介しても問題ないのですか?
作詞した稲垣千穎は1913年に亡くなっており、日本語の歌詞はすでに著作権の保護期間を過ぎた「パブリックドメイン」です。原曲もスコットランドの伝統的な民謡なので、歌詞・メロディーとも自由に紹介できます。
まとめ|蛍の光にこめられた別れと友情
「蛍の光」をめぐる話を、あらためて振り返ります。
歌詞は本来4番まであり、私たちがよく知る1番・2番は、蛍雪の功の故事をふまえた「学びと別れ」の歌でした。
いっぽう3番・4番は、時代を映して国を守る決意を歌い込み、戦後は歌われなくなりました。
メロディーの原曲はスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」で、英語圏では別れではなく新年を祝う歌として親しまれています。そして、閉店で流れるそっくりな曲は、多くの場合「別れのワルツ」という3拍子の別アレンジでした。
いつも何気なく歌ってきた一曲の裏側に、これだけの物語が折り重なっています。次に卒業式で、あるいは年の瀬に「蛍の光」を耳にしたとき、今日知った意味を少しだけ思い出してもらえたら嬉しいです。


