「春の小川はさらさら〜」。日本人なら一度は口ずさんだことのある唱歌「春の小川」。やわらかなメロディと、のどかな川辺の情景で、100年以上も歌いつがれてきた国民的な一曲です。
ところが、この誰もが知っている歌には、意外なほど知られていない一面がいくつもあります。
歌詞が発表後に2度も書きかえられていること。今ではまったく歌われない「幻の3番」があったこと。そしてモデルになった川が東京の渋谷に実在し、今は地下へ姿を消してしまっていること。
この記事では、「春の小川」の歌詞の意味を一番ずつやさしく解説しながら、文語から口語への変遷、モデルの河骨川と暗渠化の物語、作詞・作曲者の素顔まで、まるごと掘り下げていきます。

目次
「春の小川」の歌詞(1912年・尋常小学唱歌の原文)

まずは、「春の小川」が生まれた当時のオリジナルの歌詞から見ていきましょう。今わたしたちが歌っているものとは、少し言葉づかいが違います。
「春の小川」が世に出たのは、1912年(大正元年)の12月。『尋常小学唱歌 第四学年用』という文部省の音楽教科書に掲載されました。作詞は高野辰之(たかの・たつゆき)、作曲は岡野貞一(おかの・ていいち)です。
発表当時の歌詞は、次のような文語体(古い書き言葉)で、三番まで書かれていました。
春の小川は さらさら流る(ながる)
岸のすみれや れんげの花に
匂ひ(におい)めでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如く(ごとく)
二番
春の小川は さらさら流る
蝦(えび)やめだかや 小鮒(こぶな)の群(むれ)に
今日も一日(いちにち) ひなたに出でて
遊べ遊べと ささやく如く
三番
春の小川は さらさら流る
歌の上手(じょうず)よ いとしき子ども
声をそろへて(そろえて) 小川の歌を
うたへうたへと(うたえうたえと) ささやく如く
「春の小川」の歌詞の意味をやさしく解説

それでは、歌詞の意味を一番ずつ読みといていきましょう。難しい言葉が多いように見えますが、情景を思いうかべると、とてもやさしい歌だとわかります。
一番:岸に咲く春の花々
一番は、小川の岸辺に咲く草花の情景です。「すみれ」も「れんげ」も、春の野辺を代表する花。れんげはマメ科のゲンゲのことで、昔は田んぼ一面をピンクに染める春の風物詩でした。
「匂ひめでたく 色うつくしく」は、香りがすばらしく、色も美しい、という意味です。「めでたし」は古語で、すぐれてすばらしい、という褒め言葉になります。
そして「咲けよ咲けよと ささやく如く」。これは、小川が花に向かって「咲け、咲け」とささやきかけているように聞こえる、という擬人化の表現です。小川がやさしく花をはげましているのですね。
二番:水辺の小さな生き物たち
二番は、視点が水の中へ移ります。「蝦(えび)やめだかや 小鮒(こぶな)の群に」。小川にすむ小さな生き物たちが、群れをなして泳いでいます。
「今日も一日 ひなたに出でて 遊べ遊べと ささやく如く」。今日も一日、日なたに出て遊びなさいと、小川が生き物たちにささやきかける、という情景です。
三番:歌う子どもたちへ
三番の主役は、小川のほとりで歌う子どもたち。「歌の上手よ いとしき子ども」は、歌の上手な、かわいらしい子どもたち、という呼びかけです。
「声をそろへて 小川の歌を うたへうたへと」。声をそろえて小川の歌を歌いなさいと、これもまた小川がささやきかけます。
気づくと、どの番もすべて主語は「春の小川」。小川が、花に、魚に、そして子どもに、やさしく語りかけていく構成になっています。だからこの歌は、こんなにもあたたかく感じられるのですね。

「春の小川」の歌詞は2度変わった(文語から口語への変遷)
冒頭で触れたとおり、「春の小川」の歌詞は、発表されてから2度も書きかえられています。今の歌詞と昔の歌詞が違うのは、このためです。
1回目:1942年、林柳波による口語化
1度目の改訂は1942年(昭和17年)。この歌が、それまでの4年生用から3年生用の教科書『初等科音楽 一』へ移されることになりました。
当時の国民学校令施行規則では、文語文を国語の授業で教えるのは5年生以上と決められていました。3年生に文語の歌詞は難しい。そこで文部省は、詩人の林柳波(はやし・りゅうは)に歌詞の口語化を命じたのです。
おもな変更点は、次のとおりです。「さらさら流る」は「さらさら行くよ」へ。「匂ひめでたく」は「すがたやさしく」へ。「咲けよ咲けよと ささやく如く」は「咲いてゐるねと ささやきながら」へ書きかえられました。そして三番は、まるごと削除されてしまいます。
2回目:1947年、一部を元に戻す
2度目の改訂は、戦後の1947年(昭和22年)、『三年生の音楽』への掲載時です。このとき、1942年に変えた「咲いてゐるねと」の部分が、元の「さけよさけよと」に戻されました。
つまり、今わたしたちが歌っている「春の小川はさらさら行くよ……さけよさけよと ささやきながら」という歌詞は、大正時代の原詞と、2度の改訂とが混ざりあった、いわば“三代目”のバージョンなのです。
現行版から消えた「幻の3番」の歌詞
2度の改訂でいちばん大きく変わったのが、三番がまるごと消えてしまったことです。今の教科書にも、多くの歌詞カードにも、三番は載っていません。
消えてしまった三番は、こういう歌詞でした。「歌の上手よ いとしき子ども/声をそろへて 小川の歌を/うたへうたへと ささやく如く」。
一番は花、二番は水の生き物、そして三番は歌う子どもたち。小川のほとりで声をそろえて歌う子どもの姿が描かれ、歌全体をやさしく締めくくる、大切な一節でした。
削除された理由は、口語化と同じです。3年生の教科書に載せるにあたり、文語で書かれた三番は難しいと判断されたためとされています。花・魚・子どもと世界が広がっていく構成が、二番までで区切られてしまったのは、少しもったいない気もします。

「春の小川」のモデルは渋谷の河骨川だった

では、「春の小川」のモデルになった川は、いったいどこにあるのでしょうか。有力とされているのが、東京都渋谷区を流れていた河骨川(こうほねがわ)です。都会のど真ん中に、あののどかな小川があったというのは、少し意外に感じるかもしれません。
作詞した高野辰之は、1909年(明治42年)ごろから、当時の豊多摩郡代々幡村(現在の渋谷区代々木のあたり)に住んでいました。その住まいの近くを流れていたのが、この河骨川だったのです。
河骨川は、渋谷川水系の小さな支流でした。宇田川に合流し、やがて渋谷川へと注いでいました。川の名前は、水辺に咲く「コウホネ(河骨)」という黄色い花にちなんでつけられています。
コウホネはスイレンの仲間の水生植物で、初夏から夏にかけて、水面に黄色い小さな花を咲かせます。「河骨」という名は、白くて太い地下茎が、骨のように見えることからついたといわれます。
歌詞に出てくる「すみれ」「れんげ」「めだか」も、かつてはこの川のほとりでごくありふれた風景でした。高野辰之は、毎日のように目にしていた身近な小川を、そのまま歌にしたのですね。
なお、高野の故郷である長野県(現在の中野市)の小川がモデルだという説もあります。ただ、居住地との近さや歌詞の情景から、現在では河骨川説が有力とされています。
「春の小川」は暗渠で消えた(東京オリンピックと河骨川)
それでは、その河骨川は今も見られるのでしょうか。残念ながら、答えは「ほとんど見られない」です。あののどかな小川は、地上から姿を消してしまいました。
戦後、周辺の宅地化が進むと、河骨川には生活排水が流れこむようになり、悪臭が問題になっていきました。かつて子どもたちが遊んだ清らかな流れは、少しずつ汚れていったのです。
そして1964年(昭和39年)の東京オリンピックを機に、川は暗渠化(あんきょか)されます。暗渠化とは、川にふたをして地下に隠し、下水道などに転用することです。こうして春の小川は、地上から見えなくなりました。
今、その名残をたどれる場所が、わずかに残っています。小田急線の代々木八幡駅の近く(代々木五丁目)には、「春の小川」の歌碑が立っています。散歩がてら訪ねてみるのもよいでしょう。
さらに、参宮橋駅の南側、線路ぎわには、全長2メートルほどの小さな開口部があり、今もわずかに水の流れを見ることができます。地下に消えた春の小川が、最後にちらりと顔をのぞかせる場所です。

作詞・高野辰之と作曲・岡野貞一(唱歌のゴールデンコンビ)
「春の小川」を生んだのは、作詞・高野辰之と作曲・岡野貞一のコンビです。この二人の名前を知ると、あなたが知っているほかの名曲も、ぐっと近くに感じられるはずです。
高野辰之は1876年、長野県の生まれ。国文学者で、東京音楽学校(今の東京藝術大学)の教授を務めました。日本の古典や方言の研究でも知られる学者肌の人物です。
岡野貞一は1878年、鳥取県の生まれ。同じく東京音楽学校の教授で、日曜には教会でオルガンを弾く敬虔なクリスチャンでもありました。やさしく親しみやすい旋律は、そんな人柄からにじみ出たものかもしれません。
この二人は「春の小川」のほかにも、「故郷(ふるさと)」「朧月夜(おぼろづきよ)」「もみじ」など、今も歌いつがれる名唱歌を次々と生み出しました。まさに日本の唱歌を代表するゴールデンコンビです。
ところが、これらの唱歌は長いあいだ「文部省唱歌」として、作者の名前が伏せられていました。二人が正式に作詞・作曲者と認められたのは、没後の1973年(昭和48年)のことです。名曲の生みの親が、長く無名だったというのも驚きですね。
同じ高野辰之・岡野貞一コンビの唱歌については、以下の記事でくわしく紹介しています。あわせて読むと、二人の作風がより深くわかります。
「春の小川」についてよくある質問
最後に、「春の小川」についてよく寄せられる疑問をまとめておきます。
Q. 春の小川のモデルはどこの川ですか?
A. 東京都渋谷区を流れていた河骨川(こうほねがわ)が有力とされています。作詞した高野辰之の住まいの近くを流れていた、渋谷川水系の小さな支流です。
Q. 春の小川は今も見られますか?
A. 1964年の東京オリンピックを機に暗渠化され、地上からはほぼ姿を消しました。参宮橋駅の南側に約2メートルの開口部が残り、そこだけは今も水の流れを見ることができます。
Q. なぜ歌詞にいくつも種類があるのですか?
A. 1912年の文語版が、1942年と1947年の2度にわたって口語体へ書きかえられたためです。世代によって覚えている歌詞が違うのは、このためです。
Q. コウホネ(河骨)ってどんな花ですか?
A. スイレンの仲間の水生植物で、初夏から夏に黄色い小さな花を咲かせます。河骨川の名前の由来にもなった花です。
まとめ:「春の小川」の歌詞の意味と物語
「春の小川」は、ただのやさしい童謡ではありませんでした。掘りさげてみると、いくつもの物語が隠れています。
もとは文語で書かれ、三番まであったこと。時代に合わせて2度書きかえられ、三番が消えてしまったこと。
モデルの河骨川は渋谷に実在し、今は地下に暗渠として流れていること。
そして作者は、「故郷」「朧月夜」も手がけた高野辰之・岡野貞一のゴールデンコンビだったこと。
次にこの歌を口ずさむとき、さらさらと流れる小川の向こうに、渋谷の地下や、大正時代の子どもたちの姿が、少しだけ見えてくるかもしれません。


