秋になると、公園や園庭で子どもたちが元気に歌う「どんぐりころころ」。日本人なら一度は口ずさんだことのある、だれもが知る国民的な童謡です。
ところが、この歌には意外と知られていない秘密がたくさんあります。多くの人が「どんぐりころころ どんぐりこ」と歌っていますが、正しい歌詞は「どんぐりころころ どんぶりこ」です。さらに、原曲にはないはずの「幻の3番」が世の中に広まっていたり、歌詞の舞台が作詞者の実体験だったりと、知れば知るほど奥が深い歌なのです。
この記事では、「どんぐりころころ」の1番・2番の歌詞と意味、「どんぶりこ」の真相、幻の3番のなぞ、そして作詞・青木存義にまつわる由来まで、まるごと徹底解説します。

目次
どんぐりころころの歌詞(1番・2番)全文と物語

まずは正式な歌詞を確認しましょう。「どんぐりころころ」は作詞・青木存義(あおき ながよし)、作曲・梁田貞(やなだ ただし)による唱歌で、歌われるのは1番と2番だけの、とても短い歌です。
どんぐりころころ どんぶりこ
お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て 今日は
ぼっちゃんいっしょに 遊びましょう
【2番】
どんぐりころころ よろこんで
しばらくいっしょに 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた
1番の歌詞と意味
1番は、山からころがり落ちてきたどんぐりが、池にドボンとはまってしまう場面から始まります。「さあ大変」とあわてているどんぐりのところへ、池の主のどじょうが顔を出します。
そして「今日は、ぼっちゃんいっしょに遊びましょう」と、やさしく遊びに誘うのです。突然池に落ちて心細かったどんぐりに、新しい友だちができる、ほのぼのとした導入になっています。
2番の歌詞と意味|実は少し切ないラスト
2番では、どんぐりは最初こそ喜んでどじょうと遊びます。ところが、しばらくすると「やっぱりお山が恋しい」と、ふるさとを思い出して泣き出してしまいます。
最後は「泣いてはどじょうを困らせた」で歌が終わります。楽しく遊んでいたはずが、どんぐりが泣いてどじょうが困り顔、という、ハッピーエンドとは言いきれない幕切れなのです。
この“オチのなさ”こそ、のちに多くの人が「その後どうなったの?」と続きを想像し、さまざまな3番を作りたくなった理由でもあります。

歌詞の「ぼっちゃん」とは誰のこと?
歌詞に出てくる「ぼっちゃん」は、実は池にはまったどんぐり自身のことです。どじょうがどんぐりを「ぼっちゃん」と呼びかけ、人のように扱って(擬人化して)遊びに誘っているわけですね。
後ほど紹介しますが、作詞した青木存義自身が、大きな屋敷で育った“坊っちゃん”でした。歌の中のどんぐりに、作者が幼い自分の姿を重ねている、と読む人もいます。
「どんぐりこ」ではない!「どんぶりこ」の意味と勘違いの真相
この歌でいちばん有名な“勘違い”が、1番の2行目「どんぶりこ」です。「どんぐりころころ どんぐりこ」と覚えている人が本当に多いのですが、正しくは「どんぶりこ」。ここを間違えている人は驚くほどたくさんいます。
「どんぶりこ」は、どんぐりが池に「どんぶり」と落ちる音を表した擬音語です。つまり、ころころ転がってきたどんぐりが、池に落ちて「どんぶりこ(ぼちゃん)」となる、その一連の動きが2行だけで描かれているわけです。
それなのに、なぜ「どんぐりこ」と歌ってしまうのでしょうか。理由はシンプルで、直前の「どんぐりころころ」の“どんぐり”につられてしまうからです。リズムもよく似ているため、耳で覚えるとつい「どんぐりこ」と口が動いてしまうのですね。
どんぐりころころに「幻の3番」がある?歌詞と作った人の真相

「2番で終わるのは切ない。泣いていたどんぐりは、その後どうなったの?」。そんな疑問に答えるように、実は「幻の3番」と呼ばれる歌詞が世の中に広まっています。
よく知られる「幻の3番」の歌詞
どんぐりころころ 泣いてたら
仲良しこりすが とんできて
落ち葉にくるんで おんぶして
急いでお山に 連れてった
泣いていたどんぐりのところへ、仲良しのリスがやって来て、落ち葉にくるんでおんぶし、恋しがっていたお山まで送り届けてくれる、という心温まる結末です。2番の切なさが、この3番できれいに救われます。
幻の3番を作ったのは作曲家・岩河三郎
この3番を作ったのは、作詞者の青木存義ではありません。作曲家の岩河三郎(いわかわ さぶろう)が、1986年(昭和61年)に3部合唱用としてこの歌を編曲した際、新しく付け足したものです。初演は1987年、楽譜の出版は1988年とされています。
岩河は「童謡はお母さんの愛情を感じさせる音楽だと思う。母の愛情を表現するために3番を作った」という趣旨のことを語っています。泣いているどんぐりを助けるリスは、母のようなやさしい存在として登場させられたわけですね。
なぜ「幻」と呼ばれるのか
岩河三郎はこの3番を作ったとき、著作権など権利関係の届け出をしませんでした。そのため、歌詞だけが人づてに広まっていく一方で、いつしか「作者不詳」の扱いになってしまいます。
正式な歌詞ではないのに、なぜか世の中には出回っている。この“出どころのはっきりしない続き”という性格から、「幻の3番」と呼ばれるようになりました。
実は「3番」はいくつも存在する
ややこしいことに、世の中に出回っている「3番」は岩河版だけではありません。じつはいくつもの“その後”が作られています。
- 文部省の資料に載った続き:昭和20年代(1953年ごろ)には、はと(鳩)がどんぐりを山のお家へ運んでいく、という展開の続きが教育資料で紹介されたことがあります。リス版より前の“続き”です。
- 桂三枝(現・六代 桂文枝)版:落語家の桂三枝さんが独自に作った続きのバージョンも知られています。笑いのある語り口で、寄席などで披露されました。
- 各地の学校・園の独自バージョン:岩河版のリスの3番を歌い継いでいる学校や園もあれば、地域独自の続きを歌っているところもあります。
つまり「幻の3番」は一つではなく、時代や人によって、いくつもの“その後”が生まれてきたのです。それだけ、あの切ない2番の続きを知りたい人が多かった、ということでしょう。
青木存義はなぜ3番を作らなかったのか
そもそも、なぜ原曲は2番で終わっているのでしょうか。一説には、作詞した青木存義が「続きは子どもたち自身に想像してほしい」と考え、あえて3番を作らなかった、とも言われています。
真偽ははっきりしませんが、もしそうだとすれば、これだけ多くの“3番”が生まれた今の状況は、作者の願いどおりとも言えそうです。
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どんぐりころころの由来|作詞・青木存義の実体験

「どんぐりころころ」の歌詞は、作詞者・青木存義が過ごした子ども時代の実体験がもとになっていると伝えられています。歌の世界には、ちゃんとモデルがあったのです。
舞台は宮城県松島、大地主の「坊っちゃん」
青木存義は1879年(明治12年)、日本三景で知られる宮城県の松島(現在の松島町周辺)の、大地主の家に生まれました。いわゆる裕福な家の「坊っちゃん」です。
広い屋敷の庭には、どんぐりが実るナラの木があり、その近くには大きな池もあったといいます。ころがるどんぐり、はまってしまう池。歌詞の世界そのものが、青木の身近にあった風景だったわけですね。
朝寝坊を直すため、母が池に放したどじょう
幼い存義は、朝がなかなか起きられない朝寝坊な子どもでした。それを心配した母親が、あるとき庭の池にどじょうを放したと伝えられています。
どじょうが気になって、早起きしてのぞきに行くようになるのでは、という母の作戦だったそうです。歌に「どじょう」が登場するのは、この体験が下敷きになっている、と考えられています。何気ない歌詞の一語一語に、作者の思い出が息づいているのですね。

作詞・青木存義と作曲・梁田貞のプロフィール
青木存義(1879〜1935年)は、東京帝国大学(現在の東京大学)で国文学を学んだ国文学者・教育者です。文部省で教科書の編集に長く携わり、そのかたわらで子ども向けの唱歌をいくつも作詞しました。「どんぐりころころ」は、その代表作にあたります。
作曲した梁田貞(1885〜1959年)は、北海道出身の作曲家・音楽教育者です。叙情的な名曲「城ヶ島の雨」の作曲者としても広く知られています。国文学者と音楽家、二人の才能が出会って、この愛らしい歌が生まれました。
いつできた曲?発表から国民的童謡になるまでの歴史
「どんぐりころころ」が世に出たのは大正時代です。1921年(大正10年)10月発行の唱歌集『かはいい唱歌』に収められたのが初出とされています(発行を大正11年とする説もあります)。
ただし、発表された当初はそれほど広まりませんでした。全国の子どもたちに知られるようになったのは戦後のことで、1947年(昭和22年)に小学校の音楽の教科書へ採用されたのを機に、一気に定番の歌になっていきました。
言語学者の金田一春彦は、この歌を「日本の三大童謡の一つ」と高く評価しています。100年以上歌い継がれてきた事実が、その完成度の高さを物語っています。
歌詞は「怖い」「切ない」?深読みで味わう物語
「どんぐりころころ」は明るく親しみやすいメロディですが、歌詞をじっくり読むと、実は少し切ない物語です。ふるさとの山を離れ、新しい世界である池でいったんは楽しく過ごすものの、やがてホームシックになって泣いてしまう、という展開だからです。
この構図を、ふるさとを離れる旅立ちや成長、あるいは別れのメタファーとして味わう人もいます。ネット上では「怖い歌」と紹介されることもありますが、通りゃんせやかごめかごめのような都市伝説的な怖さとは種類が違います。どちらかといえば、ほろ苦い人生の縮図のような、しみじみとした切なさです。
そう考えると、リスがどんぐりをお山へ送り届ける「幻の3番」は、泣いていたどんぐりへのやさしい救済になっています。多くの人がこの歌に続きを求めた気持ちも、うなずける気がします。

どんぐりころころのよくある質問(Q&A)
Q1. 「どんぶりこ」と「どんぐりこ」、正しいのはどっち?
A. 正しくは「どんぶりこ」です。どんぐりが池に落ちる音を表した擬音語で、「どんぐりこ」は多くの人がしてしまう勘違いです。
Q2. どんぐりころころに3番はありますか?
A. 原曲は2番までです。よく知られる「幻の3番(リスが登場する続き)」は、作曲家の岩河三郎が1986年に付け足したもので、正式な歌詞ではありません。
Q3. 泣いていたどんぐりは、その後どうなったの?
A. 原曲では描かれていません。ただし「幻の3番」では、仲良しのリスがどんぐりを落ち葉にくるんでおんぶし、お山まで送り届けてくれる結末になっています。
Q4. いつ、だれが作った歌ですか?
A. 大正10年(1921年)ごろに発表された唱歌で、作詞は青木存義、作曲は梁田貞です。戦後に教科書へ採用され、全国へ広まりました。
Q5. 歌詞の「ぼっちゃん」は誰のことですか?
A. 池にはまったどんぐりのことです。どじょうがどんぐりを「ぼっちゃん」と呼びかけ、遊びに誘っています。
まとめ|どんぐりころころは奥深い童謡
「どんぐりころころ」は2番までの短い童謡ですが、正しい歌詞は「どんぐりこ」ではなく「どんぶりこ」です。どんぐりが池に落ちる音を表した擬音語でした。
「幻の3番」は、作曲家の岩河三郎が1986年に付け足したものです。権利の届け出をしなかったため作者不詳とされ、「幻」と呼ばれるようになりました。ほかにも文部省の資料に載った続きや、桂三枝版など、複数の“その後”が存在します。
歌詞のモデルになったのは、作詞・青木存義が過ごした宮城県松島での子ども時代です。庭のナラの木と池、そして朝寝坊を直すために母が放したどじょうが、そのまま歌の世界になりました。
何気なく歌ってきた童謡にも、これだけの物語と歴史が隠れています。次にお子さんと歌うときは、ぜひ「どんぶりこ」と正しく歌って、豆知識も教えてあげてください。


