「あんたがたどこさ、肥後さ」。手まりをつきながら、だれもが一度は口ずさんだことのある手まり歌ですね。
「あんたがたどこさ」は、ボールを地面につき、「さ」の合いの手で足の下をくぐらせて遊ぶ、日本を代表するわらべ歌です。保育園や小学校でもおなじみで、テンポの良さから今も歌い継がれています。
ところがこの歌には、「発祥地は熊本ではなく埼玉県川越なのではないか」という長年の論争や、「実は倒幕を歌った怖い歌だ」という都市伝説がつきまといます。
この記事では、あんたがたどこさの歌詞全文と一行ずつの意味、熊本説と川越説どちらが有力なのかという発祥論争、怖いとされる俗説の真相、そして手まり以外の遊び方まで、国立国会図書館のレファレンス事例なども参照しながらまとめて解説します。

目次
あんたがたどこさとは?肥後手まり唄の歌詞全文と読み方

「あんたがたどこさ」は、正式には「肥後手まり唄(ひごてまりうた)」と呼ばれるわらべ歌です。ボールを地面につきながら歌う「手まり歌(手鞠歌)」の一つで、問いかけと答えを繰り返す「問答歌(もんどうか)」の形式を取っています。
まずは歌詞の全文を、読み方つきで見てみましょう。
あんたがたどこさ 肥後(ひご)さ
肥後どこさ 熊本(くまもと)さ
熊本どこさ 船場(せんば)さ
船場山(せんばやま)には狸(たぬき)がおってさ
それを猟師(りょうし)が鉄砲(てっぽう)で撃(う)ってさ
煮(に)てさ 焼(や)いてさ 食(く)ってさ
それを木(こ)の葉(は)でちょいとかぶせ
短い問答が積み重なり、最後は狸を捕って料理する場面で結ばれます。子どもが息継ぎもそこそこに一気に歌い上げる、あのテンポの良さが魅力です。
あんたがたどこさの歌詞の意味を一行ずつ解説
歌詞だけを見ると意味が取りづらいので、問答の流れを一行ずつ現代語に置き換えてみましょう。
「あんたがたどこさ 肥後さ」
「あなたたちはどこの人なの?」「肥後だよ」というやり取りです。肥後(ひご)は、現在の熊本県にあたる旧国名です。
「肥後どこさ 熊本さ」
「肥後のどこなの?」「熊本だよ」と、場所をさらに細かく尋ねていきます。問いと答えがどんどん具体的になっていくのが、問答歌のおもしろさです。
「熊本どこさ 船場さ」
「熊本のどこ?」「船場(せんば)だよ」と続きます。この「せんば」がどこを指すのかが、あとで触れる発祥地論争の大きな争点になります。
「船場山には狸がおってさ…」
「船場山には狸がいて、それを猟師が鉄砲で撃って、煮て、焼いて、食べて、残りを木の葉でちょいと隠した」という場面で歌は終わります。
問答からいつの間にか狸狩りの話に移る、少し不思議な展開です。この唐突さこそが、のちほど紹介する「怖い説」が生まれる余地にもなっています。

あんたがたどこさの発祥地は熊本か埼玉川越か

あんたがたどこさをめぐる最大の謎が、「この歌はどこで生まれたのか」という発祥地論争です。歌詞は熊本を舞台にしていますが、発祥の地は必ずしも熊本とは限らない、という指摘が古くからあります。
熊本説|歌の舞台は肥後・熊本の船場
もっとも素直なのが、歌詞のとおり熊本を発祥とする「熊本説」です。熊本市の中心部には船場(せんば)という地名が実在し、船場橋という橋も残っています。
NHKの番組「ブラタモリ」(2016年放送)では、熊本城の築城時に堀を掘った土を盛り上げた土塁を、地元で「せんば山」と呼び、そこに狸がすみついていたと紹介されました。熊本では古くから「肥後手まり唄」として親しまれ、船場川は名産の車エビでも知られています。
川越説|関東方言と仙波山が根拠
一方で近年よく知られるのが、埼玉県川越市を発祥とする「川越説」です。川越市の小仙波町(こせんばまち)には「仙波(せんば)」という地名があり、喜多院の裏手には仙波東照宮や仙波古墳群があります。
川越説の根拠としてよく挙げられるのが、歌詞の言葉づかいです。文末の「〜さ」は関東地方の方言的な特徴で、熊本弁にはこの「さ」の用法が見られない、と多くの研究者が指摘しています。
幕末の戊辰戦争のころ、倒幕を目指す新政府軍(薩長連合軍)が川越の仙波山に駐屯した際、地元の子どもたちが兵士に「あなたたちはどこから来たの」「肥後から」と問答したのが歌の始まりだ、という言い伝えも残っています。
研究者の見解|舞台と発祥地は別問題
国立国会図書館のレファレンス協同データベースにも、この熊本説・川越説を扱った事例が複数登録されています。そこでは『童歌を訪ねて』(太田信一郎)や『熊本宮崎のわらべ歌』『角川日本地名大辞典』といった文献が参照されています。
ポイントは、「〜さ」を用いる問答歌の形式が、幕末から明治初期にかけて広まったものだという点です。つまり歌の舞台が肥後熊本であることと、歌が実際に生まれた土地が熊本であることは、必ずしも一致しません。豊岡短期大学の紀要でも、山本清洋氏による発祥をめぐる考察が発表されるなど、学術的にも決着はついていないのが実情です。
「せんば山」と「狸」の正体は?地名と徳川家康の符合

発祥地論争と深く関わるのが、歌詞に登場する「船場山(せんば山)」と「狸」の正体です。
「せんば山」はどこの山か
熊本説では、前述のとおり熊本城の堀を掘った土でできた土塁を「せんば山」と呼んだとされます。いっぽう川越説では、仙波東照宮や仙波古墳群のある一帯、いわゆる仙波山を指すと考えられています。
「狸」は徳川家康を指す?
川越説をより興味深くしているのが、「狸」と徳川家康の関係です。川越の仙波東照宮は、日光・久能山と並ぶ日本三大東照宮の一つに数えられ、徳川家康を祀っています。
家康は、その老獪さから「狸親父(たぬきおやじ)」とも呼ばれていました。「仙波山に狸がいる」という歌詞が、「仙波東照宮に家康が祀られている」という事実と重なって見える、というわけです。
ここから、「狸を猟師が撃つ」場面を倒幕になぞらえて読む解釈が生まれます。ただし、これはあくまで後世の読み解きであり、歌が作られた当初からそう意図されていたと確認できる史料があるわけではありません。

あんたがたどこさは怖い歌なのか?俗説の真相を検証
あんたがたどこさは「実は怖い歌」として、たびたび話題になります。代表的な二つの俗説を、順番に検証してみましょう。
俗説1|倒幕を歌った隠語という説
もっとも有名なのが、幕末の倒幕運動を裏に込めた歌だとする説です。狸を徳川家康(幕府)、鉄砲を持つ猟師を新政府軍に見立て、「狸を撃って料理し、木の葉で隠す」を「幕府を倒し、その痕跡を隠す」と読む解釈です。
川越の仙波東照宮と家康の符合もあり、物語としては魅力的です。ただし、これは歌詞から後付けで連想された解釈で、当時の作者がそう意図したという確かな証拠は見つかっていません。
俗説2|飢饉や身売りを歌ったという説
もう一つが、飢饉で亡くなった子どもや、生活苦で売られた子どもの悲劇を暗示している、という説です。「煮て焼いて食って」という物騒な言葉づかいが、こうした解釈を呼び込みます。
しかし、この説は根拠となる史料がほとんどなく、言葉のイメージだけが独り歩きした都市伝説の色合いが濃いといえます。
結論|基本は明るい問答・手まり歌
結論からいえば、あんたがたどこさは、あくまで子どもの手まり歌であり、問答のリズムを楽しむ明るい歌です。「煮て焼いて食って」も、狸を捕って食べるという素朴な狩りの情景にすぎません。
怖い説の多くは、後の時代に歌詞のイメージから膨らんだ解釈です。歴史の背景を知る入り口としてはおもしろいものの、事実として断定するのは避けたほうがよいでしょう。
同じように「怖い意味がある」と語られるわらべ歌は、ほかにもあります。以下の記事もあわせてどうぞ。
あんたがたどこさの遊び方は3種類(手まり・輪・ハイタッチ)
あんたがたどこさは、歌うだけでなく体を使って遊べるのが魅力です。代表的な三つの遊び方を紹介します。
1. 手まりでつく遊び方(基本)
もっとも古くからある遊び方です。4拍子のリズムに合わせてボール(手まり)を地面につき、歌詞の「さ」のところで足を上げて、ボールを足の下にくぐらせます。
最後の「ちょいとかぶせ」で、スカート(昔は着物)の裾でボールを隠せたら成功です。「さ」を取りこぼさずに続けられるかを競います。
2. 輪になって回る遊び方
数人で輪になり、歌に合わせてぐるぐると歩いて回ります。「さ」のタイミングでジャンプしたり、向きを変えたりして、みんなでリズムを合わせて楽しみます。小さな子どもでも参加しやすい遊び方です。
3. 二人組の手合わせ(ハイタッチ)
二人一組で向かい合い、手拍子をしながら「さ」のところでお互いの両手を合わせます。だんだんテンポを速くしていくと難しくなり、盛り上がります。

「えびさがおってさ」もある?替え歌と豆知識
あんたがたどこさには、地域によって歌詞が少しちがうバリエーションがあります。
狸ではなく「えび」バージョン
熊本に伝わる版では、「船場山には狸がおってさ」の部分が「洗馬川(せんばがわ)にはえびさがおってさ」となることがあります。船場川の周辺は車エビの名産地で、実際に船場橋のたもとには、エビをかたどったオブジェが置かれています。
熊本の人からは「狸ではなくエビが本来の姿だ」という声もあり、これも発祥地論争の一つの材料になっています。
結びの言葉のバリエーション
結びの「木の葉でちょいとかぶせ」の部分が、地域によっては「うまさのさっさっさー」など、別の言葉に置き換わることもあります。口伝えで広まったわらべ歌ならではの変化です。
あんたがたどこさの歌詞と由来のまとめ
最後に、あんたがたどこさのポイントを整理します。
正式名称は「肥後手まり唄」で、問いと答えを繰り返す問答歌の形式を持つ手まり歌です。
発祥地には、歌の舞台である熊本を推す説と、関東方言や仙波山を根拠にする埼玉県川越説があり、いまも決着はついていません。
「倒幕の隠語」「飢饉の悲劇」といった怖い説も語られますが、これらは後世に歌詞のイメージから生まれた解釈で、確かな史料の裏づけはありません。
あくまで、子どもがリズムを楽しむ明るい手まり歌であるというのが、基本の姿です。由来の謎を思い浮かべながら歌うと、いつものわらべ歌がまた少しちがって聞こえてくるはずです。


