以前書いたエントリーにて予想以上の反響があり、メールで詳細について知りたいとの要望があったので、今回私が発達障害を改善した体験談について、記事を書きます。
【2017/05/31 追記】
今回の記事は下のエントリーを読んだ後読むことを強くおススメします!
※以前書いたエントリーはこちら
私は医者ではないですし、専門的な知識はありません。
この記事は、友人Mがどのように私に接したかを書き、私がどのような過程を経て自身の性格や回りのことを理解出来たか書くだけです。
なので、発達障害(アスペルガー)が改善した、一つの例として見て頂ければ幸いです。
目次
友人Mの接し方
以下、友人の具体的な私への接し方について記載します。端的な話になってしまいますが、少しでも発達障害の方と接する時のヒントになれば幸いです。
具体的な指摘をする
友人Mは私に対して、非常に具体的な指摘をしました。以下、一例を紹介します。
部活中に同期達で彼女の話をしていた時です。みんなが和気あいあいと理想の彼女像や気になる人について話している中で、私が部活仲間のAさんに対して、
確かに客観的に見ても、Aさんは美形ではありませんでしたが、柔和な性格であり、私と異なり、友人も多くいました。友人Mは、したり顔でAさんに向かって暴言を吐いた私に対して、その場で以下のように諭しました。
「お前の今言ったことに対して、Aはすごい怒るし、また傷ついた。なぜなら、Aは結構顔の事に関して気にしているからだ。そして、お前の今の発言を聞いていた回りの人はあきれたぞ。」
※もうちょっと言い回しはぶっきらぼうでしたが・・・。
私の発言に対して相手がどのように思ったか、また回りがどのように感じたかを事細かに説明しました。
言動以外にも挙動についても指摘されました。ただそのどれも
「キモいから止めろ」
と言った単純な否定ではなく、必ず他の人が私の行動に対して、どのような感情を抱いたのかを丁寧に説明してくれました。
私の問題点として、自身の発言で他者の心情にどのように変化が起こるのか、全く理解していなかったことが挙げられます。その為、ただ思いついた事を、何も考えずに口から出していた節がありました。
周りがどのように感じたのかを、友人Mから何度も説明してもらう内に、私自身の中で変化が起こり、認知の仕方が変わりました。
何度も続ける
勿論このような指摘を何度も続ければ、言われている私は自我を否定されているわけですから、反発します。
しかし、友人Mは私と喧嘩しようが何しようが、約1年に渡り上記の指摘を止めませんでした。何度も同じ発言を繰り返す私に、何度も同じことを言い続けました。
長年かけて形成された自我は、簡単には修正されません。私は友人から指摘を受けるまで、絶対に自分が正しく、周りが間違っているという、極端な考え方を信じて疑っていませんでした。
幾度となく指摘され、衝突し、それでも淡々と注意を続けられ、初めて自身の考え方がずれている事に気づけました。
常に冷静に対処する
友人Mは常に冷静でした。勿論、私と喧嘩する時は怒っていましたが、それ以外の指摘の発言をする時は、常に冷静で、淡々と私に指摘しました。
私から嗾けた喧嘩以外で、Mが怒ったことはありませんでした。
相手がどう感じたのか、私の行動はなぜ場の空気を乱してしまったのかを、わかりやすく端的に伝え続けます。決して感情的では無かった為、その言葉には深い説得力がありました。
友人として接し安心感を与える
また、友人Mは私に対して、指摘をする以外は基本的に普通の友人として接してきました。(元々他者に対して、分け隔てなく接するタイプの人でした。)
私に対して冗談も言いますし、ネタも言います。部活終わりに一緒にご飯を食べに行ったり、そこで下らない話もします。
通常の友人のように接してくれる人が居なかった私は、これが大きな安心感に繋がり、Mの指摘について真剣に考えるきっかけにもなりました。
もし、単純にしてきだけする人であったならば、私はその助言に耳を傾けることはなかったと思います。どんな相手であろうと、常に真摯に向き合っているMだったからこそ、最終的には耳を傾ける気になれたのだと感じました。
ある程度の距離感
これは後から思ったのですが、学校の友人というある程度の距離感が良かった気がします。
もし、同様の事を自分の親や兄弟にされていたら、あまりに距離が近い為、私は反発していたと思います。学校という限られた場所で会う、友人だったからこそ、その微妙な距離感が上手く作用した気がします。
このような友人が出来た事は、私にとって本当に幸運でした。私の性格に対して指摘をする人は、母でも父でも兄弟でも先生でも無く、友人だったからこそ、初めて意味をなしたのだと思います。
感情の変化について
初めの半年ほどは、Mの事が大嫌いでした。
せっかく中学時代の人間関係を断ち切って、高校に入学したのに、またうるさい奴が出てきたくらいにしか思っていませんでした。
しかし、ずっと同じことを指摘されましたが、それ以外、Mは友人のように私に接してきました。その事に対して、少しずつ私の中で疑問が浮かんできました。
Mの言う事に少しずつ耳を傾け始めたのは、およそ半年が過ぎてから。
部活でもM以外は友人がおらず孤立していましたが、Mの助言を聞き、少し接し方を変えると、ちょっとずつ部活馴染めるようになりました。(元々私の入った剣道は非常にいい人ばかりでした。)
この時に、「あれ、おかしいのは自分なのかな?」
と思うようになりました。しかし、今まで15年以上生きてきて培った自我を否定することになるので、初めは非常に混乱しました。しかし、その後もMの指摘は続いて、その後半年してようやく私は素直に指摘を聞けるようになったわけです。
受け入れる事はひどい苦痛を伴いました。
例えていうのであれば、今まで頑なに信じてきた宗教を脱退し、改宗するといったところでしょうか。
昨日まで神だと信じていたものが、実はそうではなく、本当は別のところにいると受け入れられるようになるまで、ひどく葛藤し、悩み抜きました。
最後に
発達障害(アスペルガー)は通常幼い段階で治るようですが、私の場合は改善し始めたのは、高校に入ってMと会ってからです。
大人になりきる前にMと出会えたのは本当に幸運ですし、多分もう少し遅かったら治らなかったのではないかと思います。
発達障害(アスペルガー)については、その内容について様々な議論が交わされているので、私が深く何か言う事はありません。
ただ、事実として、私は自身の性格を理解出来、他者との違いが分かったことで『友達が出来』、『いじめがなくなり』ました。
私は発達障害(アスペルガー)が治ったことにより、本当に生きやすくなり、世界が変わって見えました。それだけは私の中で変わらない真実です。
もし、これを読んだ人が、発達障害(アスペルガー)が治るきっかけになれば、私はこれ以上嬉しいことはありません。
※発達障害(アスペルガー)について、『治った』『治らなかった』の表現は不適切かも知れません。今回は文章を平易にするため使っています。正確に言うと、私の場合の『治った』とは、
- 他者との違いを理解したこと。
- 私の挙動や発言が他者にどのような感情の変化をもたらすのかを理解したこと。
- 社会に適応しやすいよう、発言をコントロール出来るようになったこと。
- 集団行動に上手く適応出来るようになったこと。
などを指します。
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